memorandums

日々の生活で問題解決したこと、知ってよかったことなどを自分が思い出すために記録しています。

先延ばしは単なる怠惰ではなく自分がそうしたいからしている儀式ではないか?という仮説

正月明けに学会で講演してもう1週間以上が経ってしまった。

やらなければならない仕事(ロンブン)として、次の予定をGcalにセットしていたにも関わらずなかなか取りかかれないでいる。

どうしたもんかなと悶々と過ごしてる。。。

卒業研究も授業もだいたい片付いたし、日中も自由な時間が取れるはずなんだけど、気持ちがそっちに向かない。

人間 厄介なものである。

やらなければいけないことがあるのに身体と気持ちがそっちを向かない。

誰もが経験するあの 試験期間になるとなぜか部屋の掃除をしたくなる ヤツである。

まぁ、いつものやつだな。。。くらいには思っているけど。

出勤中に駅から大学まで歩きながら少し考えてみた。

その現象の説明が1つ思いついた。

このように やらなければならないことをやらずに先送りしてしまうのは、単にやりたくないからだけではなく、先送りすることによって、自分にとってより充実した時間が持てるという過去の経験が起因しているのではないか という説である。行動科学か何かで既に説明されているのだろうけど。調べるより考えることも楽しい。

もう少し具体的に書いてみる。

やらなければならないことを作業を先送りすることによって、当然ながらその作業に割り当てた残り期間が短くなる。

10日の作業に対して7日間を別の作業をしていると残りは3日間になってしまう。

残り時間がなくなるといよいよまずいと身体の中が感じる

個人的にここ(↑)が面白いと思う。なぜか?

計画は他者から指示されたものもあれば自分で立てたものもある。自分で立てた計画なら見直せばいいんだろうけど、そうしない自分がいるのがとても面白い。

その状況になると自然とスイッチが入り、その短い時間で何とか終わらせようとする。

昔から真面目くんではなかったので1日1日淡々と作業をするのを嫌って生きてきた。長距離より短距離が好きだ。

着実にやっていれば別に苦労せずに終われるものをわざわざ自分を追い込んでしまう。

結果的に先送りすることで淡々と作業することに比べより密度が高い時間を過ごすことになる

それこそ時が過ぎるのも忘れて作業に没頭する。ゾーンに入る感覚に近いと思う。

個人差はあるのだろうか?わからないけど、何かに没頭する時間というのはとても素敵な時間だと私は思う。

こうした充実した時間を過ごせたという経験は、たぶん自分にとって素晴らしい時間と身を持って感じるのだろうし、そういう経験をできれば繰り返し得たいと思うのだと思う。

言い方を変えれば、日常の中の非日常を自分自身で作りだしているとも言えるのかもしれない。

つまり。。。なんだっけ?

あ、そうそう。

言いたかったことはタイトルの通り。

先延ばしは単に自分が怠惰だからだけではなく自分がそうしたいからしている儀式ではないか?という仮説 について書いてみた。

やる気になるまで待たなければならない。。。けど、あまりにやり過ぎるのも身体に良くない(学生の場合は単位を落とす)ので注意が必要だ、というところで閉じたい。