memorandums

日々の生活で問題解決したこと、知ってよかったことなどを自分が思い出すために記録しています。

同じ轍は踏まない。踏みたくもない。

あまりに情けない投稿だったので消し去ったが。とある論文を2度投稿しようとしてそれぞれ同じような理由で投稿を断念せざるを得なかった。投稿しようとするジャーナルの規定をチェックしてフォーマットを入手してそのフォーマットに合わせて本文や図表タイトルや参考文献をすべて書き換える作業を2度したということである。初版をいれると3度書いていることになる。アホでしょう?ほんと。。。我ながら。ドアホ。

これだけ痛い思いをすると当面は忘れない。人間、痛い思いをしないと学ばないものである。

さきほど書いた方法でジャーナルを10ほど列挙し、それぞれ条件を調べていった。慣れてしまえば半日もあれば終わる。

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ちょうどよいジャーナルが1つ見つかった。スコープも料金も出版期間も難易度も。

そして、投稿画面に進み、一番の関門である推薦査読者がないことも確認した。

これであとは投稿論文の体裁をテンプレートに合わせて(これも2,3時間はかかる)投稿するのみ。バッターボックスに立つまでが時間がかかる。こういうのも将来的にはAIで支援してくれるようになったら嬉しい。TEXの思想のように、あくまで必要なのはコンテンツであって、フォーマットはフォーマットファイルで調整すべきなんだと思う。

人気のジャーナルではそんな問題意識はないのだろうけど、そうでもなジャーナル(失礼💦)はいかに投稿しやすくするか、が鍵になるだろう。既得権益ではないが、やはり古い文化が色濃く残るこのアカデミック業界、刷新はまだまだ先なんだろうと思う。論文という形式ももっと変わっていいんだろうと思う。

僕は投稿したことがないが(先取権を争うほどの研究をしていない)、出版社に非依存なプレプリントサービスを使うのがデフォルトになりつつあるのだろうと思う。そこに投稿した原稿を査読原稿にすればいいんだろうし、さらにそこから自動処理して各雑誌のフォーマットに変換できればいいはずのこと。

軽微な編集はどんどんAI化が進むのだろうし、そうなるとそういう調整を人がやらなければならない時代なんて過去のものになっていくんだろうと予想する。大事なのはコンテンツなんだと。文章と図表。レイアウトはあくまで飾り。

論文を大して書いていない自分がこんなことを書いても「お前が言う?」と言われそうだけど、思ったので書いてみた。そういう時代が来たら少なくとも研究者はハッピーになるだろうと思うからである。

欲しいと思わなければ未来は手に入らない。当たり前だが、現状を当たり前とする限り、そういう話は出てこない。

苦労を美とする。苦労を品質保証や責任とする。そういう文化は駆逐したい。せっかくITがあるのだから。おかしなことを言っているだろうか?

科研費の申請にわざわざ両面コピーして糊付けして。。。ということを経験したこともあった。今や電子投稿、時代は変わるもの。

僕はそう思う。よりよい未来のために。そんな綺麗事はどうでもいい。自分の(面倒を駆逐する)ために。