とある「できる」学生が必要以上に取り組もうとしない様子を見て「もっとお前できるだろう」と率直に思ってしまうのです。
現実的には完成しなければ評価はされない、だから、中途半端な夢物語を描くより、現実的な目標を立ててそこに向かって努力した方がいい、確かにそうですが。。。
好きだからやっている人はかかる時間的コストや成果の多少は考えないと思います。やっているプロセス自体が楽しいからです。
でも、好きだからではない活動では、いかにコスパ・タイパよく目標を達成できることが求めようとします。これは普通の価値観だと思います。
なので、そういう行動や判断を見ると、その対象が好きかそうでないか、をより分ける基準になって見えてしまうのです。
わかるでしょうか?
そのときに、若い自分なら「そういう限界を決めるのってダサいでしょう?」「もっとこうした方がいいんじゃね?」などと投げかけたと思います。
でも、結局はやるのは学生です。ダサいと思っているのは私です。学生ではありません。ここで僕が「こうしたらいいよ」と言い切ってしまうと、例えそれが社会的に評価されるものであったとしてもその学生にとっては「やらされる作業」になりさがってしまうでしょう。
主体的にやって欲しいことなのに、主体性を奪ってしまう行為になります。それこそ先日聞いたオーナーシップがなくなってしまうのです。そんなことをやらせても時間も無駄です。
ただ、それを若いときは言えたけど今は言わないのは「嫌われたくないから」という弱い考えもあるとも思います。
何が正解なのか。。。どうでしょう?それも関係性だと思うのです。
「厳しいことを言ってくれたから成長できた」なんていう話しももちろん聞きます。
「言われたことだけやった」という結果もあるかもしれません。
自分すら自由にできないのが人間です。他人ともなると無理でしょう。やりたくないものはやらない。なら言わない。気持ちよくやってもらう?
何が正解でしょうか?
美術館プロジェクトでご一緒させていただいているデザイン系の先生はいつも一つの答えを見せてくれます。
その方はテーマは設定するが詳細はすべて学生に任せます。
その学生が出してきた案をみてコメントはするけどどうすればいいかはあまり誘導しません。
チャンスは与えて主体的に動く状況を作り、そこで起きるイベント全体に対してオーナーシップを感じて行動させ経験させます。どういう結果になっても問題があればすべてその先生が持ってくれます。
これは大学院生の話しなので少し違うかもしれませんが、でも、そうありたいといつも思っています。
押し付けない期待ってどうやったらできるのでしょうか?
期待しないのが正解ですか?それは寂しいですよね。。。(口出さず)見守る、が正解なような気はしています。
なので、とりあえず指示はせず見守りたいと思います。。。
やるもやらないもすべては経験になります。
それを背負って生きていくのは彼らであり、彼らの人生です。