memorandums

日々の生活で問題解決したこと、知ってよかったことなどを自分が思い出すために記録しています。

模写という学習法

結婚後、いつからか夫婦でNHKの朝ドラを見る習慣が始まりました。

今、放映中のらんまんも楽しく視聴させていただいています。

今朝の回が示唆に富んでいたのでちょっとメモ。

news.yahoo.co.jp

植物学者の道を目指している主人公が小学校中退にも関わらず東京大学(←当時、国内唯一の大学だったらしい)の植物学研究所への出入りを許され、その研究所の教授の先生に、主人公が花(ぼたん)を模写している様子を褒められる?シーンがありました。

教授「いつからその模写をやっている?」

主人公「子供の頃から何度も何度も繰り返しやってます」

教授「いい学び方だ。コーネル大学でも同様の方法で学んでいた。」

模写を見れば(絵を描く技術によって差が出るでしょうけど)観察者の視点や理解度がわかるはずです。

どれだけ丁寧にポイントを押さえて観察できているか?が伺い知れるはずです。

もし、そこで不足している、あるいは間違った認識をしているようなら、そこで指導者が気づいて教えることができるはずです。

確かにいい学習方法だな。。。と思った次第でした。

じゃ、情報はどうか?

ソフトウェアは「形がない」という性質があります。

プログラミング教育に「写経」という訓練法?があります。

門前の小僧なんとかです。

なんかよくわからないけど、繰り返し見聞きしているうちに、身体で覚えることができるやつです。

そこから発展して、大学のプログラミング教育では、仕組みを少し教えては、その内容に関連した小さな小さなプログラムを作る練習をしてもらいます。その小さな体験を繰り返すことでより大きなプログラムが書けるようにしていく。。。という教授法がよく使われています。

つまり、Learn by doingです。習うより慣れろ、でしょうぁ。

確かに身体を動かして、特にデバッグしているときに、ブラックボックスであるコードの意味や動作を体験的に理解していくことができると思いますし、有効な手段だと思います。

ただ、学習中の学生の理解度を測るのはなかなか難しい。。。

プログラミング課題を出したとしても、暗記して解答することも初学者の段階ではできるでしょう。それで本当に理解しているのかはわかりません。

発展的な問題を出すと、今度は習ってないことも含まれるため、本当に本質を理解している人しか解答できない事態になります。

このさじ加減が難しい。。。

この難しさはもしかすると、学生にコードを書かせる、を前提とするからなのかな。。。と今回のテレビから感じたところでした。

それぞれのコードの意味や目的や値を理解しているか、プログラムを読めているか、を確かめることで理解度がわかるのかもしれません。

要は観察眼です。プログラムはコンピュータに対する動作指示書です。その指示書がどのようにコンピュータによって解釈されるかを理解しているか確かめることで、プログラムを書ける段階に到達していない学生の理解度を測ることができると思います。

長くなりましたが以上が本日の気づきでした。

とはいえ、これは考えてみればそういう試験問題はあります。基本情報技術者試験などでフローチャートを示し、それぞれの段階での値を問う問題、演算子や条件文の穴抜き問題を見ることがあります。

自分の試験問題では採用してこなかったので。。。やってみるといいのかもな、という発見でした。