何かの機会に娘に小数の計算の問題を出したときにお決まりの文句を聞きました。「そんなの学校で習っていないもん」。
そうですよね。私も遥か昔、学生であったときにはそう言っていました。学校は自分が大人になるまでの過程で必要なことを必要な順番で漏れなく教えてくれるものと思っていたような気がします。でも、それはもちろん正しい面もありますが、過度の期待が危険であることを大人になると知ることになります。特に社会にでると学校で学習したことの必要性や意味について考える時が来ます。しかし「卒業すればわかる」では大学生の皆さんは納得しませんよね。
そんな方にぜひオススメしたいことがあります。授業などで勉強したことで、もし、何か、自分にとって、気になる、気に入る、引っかかる、ことがあれば、一歩、踏み込んでください。学習したことを具体的に当てはめて考えたときに単なる”お勉強”が”一生使える技術(武器)”になります。
どーでもいい話で恐縮ですが、昔話(余談)を1つ。
私が小学生の頃にパソコンブームがありました。その流れの中、ベーシックマガジン(通称ベーマガ)という月刊誌がありました。その雑誌は読者が開発したゲームプログラムのソースコードを掲載するもので、読者はそのソースコードを目で見て自分のパソコンに入力してゲームを楽しむということをしていました。インターネットからファイルをダウンロードする現代では考えられない世界ですね。。。
小学生だった私はその雑誌に掲載されていたプログラムを打ち込んでは遊ぶという日々を送っていました。そのときに出てきた印象深いコードが以下です。当時のBASICの記憶が曖昧なのでC言語で書きます。
color = color + 1; color = color % 7 + 1;
小学生の当時、このコード(特に剰余を求める部分)の意味がわかりませんでした。ただ、このコードを入力すると1〜7の値がcolorという変数に入り、それを図形などの着色に指定すると奇麗なレインボーカラーが表示されることがわかっていました。その当時のパソコンにはRGB端子がついていて7色の色を表示することができました。7色を表す色コードは0:黒、1:青、2:赤、3:マゼンダ、4:緑、5:シアン、6:黄、7白、だったと思います。その値を上式を使って更新することで虹色に変化させることができました。
かなり脱線しましたが。。。言いたかったのは「授業で習うことは導入であり、その知識や技術を”自分のものにする”には自分なりの経験をすることが大切」ということです。
今は、ちょっと手をのばせば(インターネットで検索すれば)、必要な情報を手に入れることができます。やりたいことが明確にあるものの、もし自分でうまく探せないなら、そのときこそ、身近にいる物知りな友人や教員に聞きましょう。