子供の頃、親からタイトルのようなことを言われたことを親父になった今でも覚えています。
若い人は知らないかもです。
風呂上がりでさっぱりして清潔になった足、柔らかくなった爪を切るタイミングはどうしても夜になってしまいますね。。。
でも、切りながら親から言われたことが頭の中をよぎっていくんですね。不思議なもので。迷信とは知りつつも。
ちなみに、以下のような情報がありましたのでご参考まで。
noteには何度かご報告?してきたのですが、昨年末に実父を亡くしました。
昨年の春に食道がんのステージ4とわかり闘病生活を送ってきましたが、残念ながら年を越すことなく天国へ行ってしまいました。
僕自身がそうだったので、まだ、親御さんがご存命の方はたぶんイメージがわかないと思いましたので、noteに書いておこうかな。。。と思って書き始めています。
タイムスケジュール的なnoteは以下に書きました。たぶん、忘れてしまうでしょうから備忘録?として書いた次第です。
12月11日にいよいよ最後の状況ということで叔父から連絡が入り、居ても立ってもいられなくなり、12日に福岡⇒千歳の飛行機に飛び乗り移動しました。
身体が温かいうちに手を握りたい。ただ、それだけでした。
到着してみると、なぜか昏睡状態に入っているはずの父が目を覚まして出迎えてくれました。話すことができました。本当に奇跡でした。。。
その後、いつかいつか。。。という状況でホテルと病院をいったりきたりしていましたが、安定してきたので14日に一旦福岡に戻ったのでした。
それから、叔父からの報告が1日に1回入りました。
血圧や心拍の状況、ミダゾラム(モルヒネのようなものらしい)が増量されたことなどが報告してくれました。
結局、亡くなったのは24日でした。
23日まで授業があり、24日に卒業研究の最終練習会がありました。夕方から共通テストの試験監督打合せがありました。
いつ逝ってもおかしくない状況でしたので。。。とりあえず仕事をしました。
26日には卒業研究の発表会がありましたので、ゼミ生や先生達に事情を不在にすることを伝えました。
僕の用事だけ考えれば、もうこれ以上にないくらいのタイミングだったと思います。父が合わせてくれたのかなぁ。。。と思ったり。
14日帰らずに北海道に居続けていれば死に目に会うことはできたでしょう。
でも、12〜14日までに病室で一緒にいましたが、日に日に衰えていく様子がわかりました。
叔父の話によると、帰った以降はずーっと昏睡状態だったようです。話すこともできなかったでしょう。12〜14日に会いに行って話しができただけで満足でした。。。人それぞれ価値観は違うと思いますが。