GW、終わっちゃいましたね。。。仕事もあまりすることもなく家族と楽しく日々を送ることができました。自分的になによりな日々でした。世間様並みに日々の生活に戻ることの憂鬱さを実感しています。
さて本題。
ついつい使ってしまう言葉。「しっかり」
誰かに何かを伝えるときに、特に重要と強調する意図で使う言葉。
Weblioの定義は以下のよう。
自分の講義資料でたまたま自分が使っているのを自分で見かけて「はて?(←朝ドラ的、分かる人にはわかる)私は学生らに何をさせたいんだろうか?」と思ったわけです。私がそう感じているのですからこれを言われた(読まさられた)側はどう感じるでしょう。
ちょっと恥ずかしいですが以下の1文になります。講義資料の冒頭の1ページで本日の講義で扱うことを述べる出囃子メッセージです。
クライアント・サーバー方式の一般的な形態であるWebアプリケーションの構築方法を今回と次回で学んでいただきます。これもイマドキの開発と比較するととても素朴な実装方法ですが、イマドキな開発の基礎となっていますのでしっかり理解してください。
しっかりしてようがしてまいが、技術者としては「できる」か「できない」かのどちらかであるはずで。
たまに我が国の首相や様々な組織のリーダーが「しっかり」を使うのが耳に残ったりするので、たぶん自分としては以前から違和感があったのだと思います。
教務委員長の仕事をしていたときに事務の方が学生向けのメールで「十分に気をつけてください」という言葉を使うのを目にする機会があり、それは気持ちとしてはわかるけど、具体的なアクションが誘発されるのだろうか?という疑問から「十分はいらないかもですね?」などと伝えたこともありました。
うーん。精神的なメッセージなのか?具体的なアクションを促すメッセージのなのか?
日本語ネイティブな我々にとしては伝える側も意識できていないケースってあるんだろうなと思うのでした。
上記の1文に戻りますと、僕の求める要求としては「しっかり理解してください」ではなく「図や講義資料を引用しながらでいいので、自分の言葉で説明できるようになってください」ということでした。自分の中を掘り下げると、ですね。
うちのJABEEに対応していた時期がありましたが、そのときの学習教育目標に「理解できる」は具体的ではない。要は達成度が評価できない、という指摘があったことを思い出します。確かになぁ。。。そうだよな。。。と思うわけです。今さらですが。
ルーブリックもありますし、学生に何をどの程度身につけて欲しいのかを言語化しないと、伝わるものも伝わらなくなるな、と思ったできごとでした。
しっかりしてかなきゃなぁ。。。あ、これは精神論です。はい。しなければならないという意識をより強く持とうという自分への問いかけでした。
はい。