memorandums

日々の生活で問題解決したこと、知ってよかったことなどを自分が思い出すために記録しています。

ミスはボンには返らない(されど繰り返さない努力は必要)

間違ってはいけない、と言われるのが一番嫌いです。間違いたくて間違っているわけではないけど間違ってしまったらどうしよう💦という思いが先に頭をめぐり身体が固くなります。余計に間違えてしまうことさえあります。

会社が倒産しかけたときに地元の市役所に転職しようと履歴書を書いたことがありました(親会社が出資してくれて難を逃れましたが)。何十年も前のことです。そのとき何度書き直したことか。字は汚い方なのですがさらに汚くなりもう何が何だかわからなくなったりしました。今、思い出しても冷や汗しか出ません。

間違った人が悪い。そりゃそうです。その人が間違えなければ問題は発生しなかったのですから。でもね。。。そういうことを周りでフォローできるから組織があるんだと思うんですよね。。。1+1はいつも2ではない。1+1が1になることもあるし4になることもあります。良いときもあれば悪いときもある。間違った人はこれでもかというくらい反省しているはずです。

ただ、同じ間違いを繰り返しちゃいけない。その影響が大きければ大きいほど。ちゃんと振り返りをして、もしまた間違いが起きても大事には至らない対策を考えておくのが大人だと思います。セーフティネットっていうやつです。間違いを犯さない、ではなく、間違いをしても安心、にしたいところです。

対策にITを使うのもありでしょう。人が支えるでもいいですね。ただ、人がフォローするとなると「ダブルチェック」が思いつきます。これって何と言うか形骸化すると体験的に思います。これぞ人間だなと思います。誰かがちゃんとチェックしてくれるだろうと心の中で思ってしまいます。ダブルチェックを対策とするのであっても単純な作業であっても、確実に人を優しく促してくれるような仕組みができたらいいなと思うわけです。

一方、近年、組織でもSlackとかでコミュニケーションコストがグッと下がっていると思うんです。ただ、効率は確かにとてもいいんですが、人間ってそんなに賢くないので忘れることもあるし、直前に何かイベントがあるとそこに反応しているうちに忘れてしまうこともあると思うのです。デジタルでありアナログであり。その境界がますます重要になってくるような気がします。

昔はもう少し緩やかに時間が流れていたような気がします。昔といえば昭和(もしくは平成初期)です。無駄も多かった時代には、雑談する時間なんかもあったような気がするんです。それがコロナ&リモートワークで一変しました。雑談する時間が無駄(タイパ悪し)と思えるようになってしまいました。悪いことではなくなるべくしてなったというだけです。でも、そういう雑談とかで「あ、そういえば来週◯◯あったよね〜」とか「この前〇〇あるって言ってたけど終わった?」とか人間同士の会話の中で気付かされることもあったんじゃないかなと思うんですね。

雑談が少なくなった今、昔はよかったね〜と言ってたらただの昭和オジサンになってしまうので。何かリマインドする仕組み(ITでも人でも)をシステマティックに用意して防御していくしかないのかな。。。と思ったりします。

昔々、映画アバターで男性が航海記録をVログでつけてましたが、我々も日常をVログのようなものでつけて、そのログを自動解析してAIがリマインドしてくれるとかあったらいいかもな、とも思います。

環境とともに人は変わります。それでも人の本質は変わりません。迷うし間違えるし忘れるし。そういう人間臭さを冷静に分析(客観視)して、繰り返さない仕組みを作っていきたいですね。

間違った人が悪いんじゃない、他の人が間違う前にその人が間違っただけ。ヒトバシラーではないですが、その人のお陰であとに続く人が同じ過ちを犯さなくて済むようになるはずです。人類の歴史とはそういう過ちの上に成り立っているのだと思います。