小寺さんのコラムを読みました。なるほどです。あげられている理由は以下です。
- フォントが美しくない
- 行間が詰まっている
- 日本語の文字は四角の集合体だから英字にくらべて文字が詰まって見える
- ブログや日記の編集ウィンドウのせまいから長文が書きにくい
- 長文を書かないのは書けないから?
さっそく日記のデザインに以下を加えて行間を135%に変更してみました。ついでにインデントも入れました。あと、見栄えは悪いですが、1行の長さを抑えてみました。論文ではこうしたことを意識するのに日記ではなぜ意識してこなかったのか。。。不思議です。(読者・査読者に)見せる意識がないんでしょうね。とりあえず記録しておきたいということかと。
body {
line-height:135%;
text-indent:1em;
max-width:600px;
}
小寺さんが最後に書かれている「長文を書かないのは書けないから?」のページには考えさせられました。教育の現場にいて、学生と関わっていますが、じっくり物事を考える時間がない、あるいは、そういう時間をもつことに関心が持ちにくい、私はそんな感じを受けます。やりたいことがたくさん世の中に転がっています。私自身も反省すべきところですが、1つのことにじっくり時間をかけることが少なくなっている気がします。
レポートを書くときにはGoogleで検索すれば図書館に行かなくてもとりあえず何かしら見つかる。コピペすればとりあえずレポートらしきものができあがる。簡単です。ブログや日記でとりあえず何かしら文章を書けば形になる。最近の脳トレなんかもそうですね。脳トレで情報のスループット(処理能力)をあげることはできても新しいものを生み出す思考能力を高めることはできないように思います。
以前から不思議に思っていたことがあります。現在、これだけコンピュータに関する情報があふれているのにより深いものがうまれてこない。語学学習にもいえるでしょうし、恐らくスポーツにも同じことが言えるんじゃないかと思います。情報が身近となって量が増えても、入力だけでは自然に思考能力が深まるということはない、そう思います。
質の高い出力をしてこそ思考能力が高まる。物書きになるしかない。そのファーストステップとしてブログや日記は最高の練習場だと思いますけどね。ブログや日記で文章の質を高めるにはどうすればいいか?今のところはイイブログを見る→参考にする→自分のものにする、くらいでしょうか?