論文を探すにはGoogle Scholarを使う。今ならAIかもしれない(ハルシネーションが多いけど)。
そうして時間かけて探しているときに「これは!?」「読んでみたい!」という文献を見つけたとしよう。
その論文が鍵付きだったときのガッカリ感は相当なもの(←ちょっと盛ってる😁)。
昨日、ゼミ生が歩行支援のロボットに関する文献を探していて見つけた論文が(恐らく年1開催の国内学会の)概要集で、参加者が有料で購入する昔懐かしいスタイルのものだった。まだこんな形態が存在しているんだ。。。と正直思った。
大学がいろいろ契約してくれているのでたいていのジャーナルは読めるはずだがそれでも読めないことがある。これもその1つだった。
図書館の取り寄せサービスを利用する手もあるが、年1の雑誌はなかなか入手が難しい(それでも国会図書館にはあるのかも)。
こういう状況で感じたのはタイトルの通り。
アクセスできないということは存在しないのと同じ
色々な事情があるのだろうとは思うけど、単純に文献調査している人の心情を考えると「残念感」しかない。
論文を投稿するのは自分の研究を他者に知らせるためである。
学会運営のためには資金は重要で入会した人だけが読めるようにすることで入会を促すという効果は確かにあったと思うし、昔の学会はみなそうだったと思う。中の人だった経験がないのであくまで想像。
でもである。。。
いまや論文の評価は引用数。引用してもらうためにはどんな人にてもまず読んでもらわなければならない 。
読んでもらうための工夫は色々考えられるが、まずできることは 探し当ててくれた人にはどんな人(会員・非会員とわず)でも読んでもらうことだろう 。
そんなところに今朝、以下のメールが届いた。
このページをChatGPTに要約してもらった。
項目 | 内容 |
---|---|
転換時期 | 2025年末までに完全OA化、2026年1月1日より |
機関プログラム | ACM Open(Read & Publish)による無制限OAとDLアクセス |
著作権形態 | 著者が保持、ACMは非独占ライセンスを取得 |
ライセンスタイプ | Creative Commons(CC-BY等)選択可能 |
対象論文タイプ | 研究論文、レビュー、短報、技術ノートなど |
APC対応 | 加盟機関は不要、非加盟は有料/割引/免除可能 |
なんと読者はすべて無料で読める。オープンアクセスっていうやつだ。。。
これは凄いこと。。。デジタルライブラリを読むのにずーっと199USD/年を支払ってきた(ただ、これですべてのACMの論文が読めるわけではなかった)。読者の立場ではこれがいらなくなる。さらに投稿する側としては大学等の機関が加盟してくれると個人が投稿料(APC)を支払う必要がなくなる。これも凄いこと。
ちょっと話がずれるけどここ数年で改めて思うことがある。
それは 国内の学会に日本語で投稿する意義はあるのだろうか ということ。
たぶん、ない。国内であっても英語で投稿すべきなんだと思う。そうすれば国内学会であっても海外から注目されるし引用もされる可能性がある。特に日本の研究者の研究は独自性が高いと言われてと聞くし。
そのときに、いまだに会員だけ読めるという状況では「言語の壁」「お金の壁」の2重の壁によって国内の学会のジャーナルが益々、読まれなくなるだろうし引用もされなくなる。そしてインパクトファクターもあいかわらずつかないという状況になる。。。
日本語で書ける自由度は高いに決まっている。でも、読まれるために書いているのだとすれば、やはりもう英語で書いていくしかないんだろうと思う。英文誌を発刊している学会もあるがやはり日本語で書ける雑誌があればそちらを選択するのだと思う。英文誌に出すなら別に海外のもっとアクセスされるジャーナルに投稿した方がいいじゃん。。。と思う。
つまり、英語を主にして多くの人にアクセスしてもらう環境を作らない限り、日本の学会が発刊している学術雑誌の価値は高まらないということ。そしてより高い価値のあるジャーナルは海外にあるため、そこに投稿する選択をせざるを得なくなる。
これって長年当たり前のこととして受け入れられてきたと思うのだけど、改めてこう考えてくるとどうなんだろう。。。と思う。
日本の学会がIEEEやACMになることは難しいとしても近づけることはできると思う。まずは第一の選択として日本語で出版する雑誌を廃止することじゃないだろうか。そうして日本で出版される様々な文献が海外からアクセスされるようになってインパクトファクター等がつくようになれば、英語であっても国内の雑誌に投稿するという選択ができるようになるはずで。
とにかく大きく変わっていけると思う。。。もちろん大変なこともあるだろうけど。AIの支援がある今、我々日本人にとっても英語の壁はずいぶんと低くなったと感じるし。できないことではないと思いたい。
国内学会の出版物のオープンアクセス化とできたら英語化を進めていく必要を感じたニュースだった。
おしまい。