昨日、図書館で以下を書きました。
何も考えずに思いつきでいつものように書き殴っただけでした。読み返してみるとかなり酷い。。。これは自分で読んでも酷いなぁ。。。と。久しぶりにアップデートされたrebuild.fmを聞いて、AIに校正させればいいよなと改めて思いました。それが以下です。いや、読みやすいです。。。AIらしいいい文章です。誰も非難しません。クセがないフラットな文章です。こうなるとですね、原文を自分ごのみの文体に変換するAIをUIの表層に常において、自分が目にする情報すべてをそのAIを通して見る、なんて想像しちゃいます。テキストだけでなく、視覚、聴覚なども。これも人間拡張になるんですかねぇ。面白い。
では、どうぞ。
1. はじめに
仕事に集中しようと思っていたのに、つい以下の記事を読んでしまいました。
AIが教育に与える影響について具体例を知ることができる記事です。読めば読むほど考えさせられる内容でした。
2. AIの利用と大学の対応
大学では最近、授業や研究におけるAIの使用に関する声明が次々と発表されました。しかし、便利な技術を前にして、その利用を完全に止めることは現実的ではありません。
これまでコピペレポートや盗用の問題は存在していましたが、AIの登場によってその問題はさらに深刻化しました。AIが生成する回答は自然で流暢なため、人間が考えたものかAIによるものかを見分けるのはほぼ不可能になっています。
3. AIによる課題と影響
大学では、学生が本当に実力を身につけたかどうかを判断するのが難しくなりました。研究や論文の執筆さえも外注できる時代です。
一方で、企業においてもAIの利用は進んでおり、業務の一部がAIによって代替されることも増えています。漫画『バクマン。』のエピソードのように、ゴーストライターの存在が問題視されるのと同じ構造が見えてきます。
4. AI活用の現実と倫理的問題
現実的には、人は怠けたくてAIを使うわけではなく、利便性から自然に活用しているのです。開発者や研究者も、AIを壁打ち相手や下請けとして日常的に利用しています。新人がAIを使うことを否定する理由はありません。
問題は、技術を身につけた人がAIを活用するのと、全く知識のない人がAIに頼るのとでは大きな違いがあるという点です。AIは「それっぽいもの」を作るのが得意で、間違いでも堂々と誤った情報を提示します。そのため、利用者がAIの出力を鵜呑みにせず、自らの知識で正誤を判断する必要があります。
5. AIを活用する人としない人の違い
ある書籍の著者も、最初はただ怠けたくてAIを使っていました。しかし、次第に中身を理解し、AIを補助的に活用するようになりました。こうした学習プロセスが一般的なものなのか、個人による差が大きいのかはまだ分かりません。
特にプログラムコードの場合、AIが生成したものをそのまま実行できる環境では、コードの内容を深く理解せずに進めてしまう可能性があります。重要なのは、「なぜその実装を選んだのか?」を説明できるかどうかです。
6. AIがもたらす未来
将来的には、仕様書や提案書の作成、さらには検証コードや報告書までAIが自動生成できるようになるかもしれません。その場合、「何をもって安全とするのか?」という問題が浮上します。極端な話、「動けばいい」という時代が来る可能性もあります。
現在の技術選択がAIの観点から異なる答えを導き出す未来もあり得ます。私たちは、AIの力を借りながらも、どこまでを人間が判断し、どこまでをAIに任せるのかを考え続ける必要があるでしょう。
7. まとめ
大学において、すべてのコードをAIに生成させることは避けたいですが、部分的な補助として活用しながら、学生が望む形のアプリケーションを作り上げる経験を積む機会を提供することは重要です。
AIが制作にかかる時間を削減してくれるなら、その分、より高度なプロトタイプを作り、評価し、改善する時間に充てることができます。
試行錯誤を繰り返すことで、「この条件ではこの選択が最適だ」という判断力を養うことができるはずです。AI時代における教育のあり方を考え続けることが求められています。