以下を読んでしまった。。。せっかく仕事に集中できる場所・時間だというのに。
AIが教育に与える影響の事例を知ることができる記事です。
大学でこぞって授業や研究でのAIの使用に対する宣言が出されたのがほんのちょっと前の出来事でした。
それを見ては便利なものなんだから利用を止める術はないよな。。。と内心思っていました。
コピペレポートや剽窃や盗用は昔から問題にありました。
でも、AIはその比ではありませんね。。。あまりにも自由で自然な回答から、レポートや成果物がAIによるものなのか人間が考えて出力したものなのか見分けることは既に無理と思えます。いたちごっこです。
大学等では、言ってはいけないのかもしれませんが、その学生が本当に実力を身につけたかどうかを知る術はありません。
研究や論文だって外注できる時代です。人がやろうが機械がやろうがわかりませんし、それは個人の倫理観に委ねられるところです。
会社ではそうはいかない、かもしれません。いや、行く場合だってかるかも知れませんね。バクマンでしたっけ?そんなエピソードがあったような気がします。
もっというとゴーストライターだってそうですよね。本人が書いたかどうかなんて誰もわかりません。関係者が利害が一致していて口を閉ざしていれば。
そんな極端な例はおいておいて。
現実として、単に怠けたくてAIを使っているわけではなく、そうするのが自然だったのでしてきたし、開発者も研究者も日常的にAIを活用して壁打ちにあるいは下請けとして利用しています。新人が使って悪いわけはありません。。。
ここで問題になるのは、何か技術を身につけたことがある人がAIを使うのと、全く身につけたことがない人が最初からAIを利用するのとの違いです。
AIは それっぽいものを作ること が得意です。もし間違いでも堂々と間違えます。インチキコンサルのようです。
AIの出力を信じるか信じないかはすべて利用する側の自己責任だと堂々と宣言されています。
ChatGPT の回答は必ずしも正しいとは限りません。重要な情報は確認するようにしてください。
上記のエントリーを読めば読むほど悩ましいし暗い気持ちになっていきます。
AIの利用を止めることはできない。でも、なぜ、その選択をしたのかを説明できなければならない、それこそがプロ意識なんだ と仰っているように感じました。私の言葉は安っぽくなっていますのでより正確には原文をお読みください。
何度も引き合いに出して申し訳ないのですが以下の著者は最初な怠けたくてAIを使っていました。
次第に中身がわかりだしAIをサブとして使いだしました。この話をこれからの新人すべてに適用できるのだとすると未来は明るいです。
教える側は余計な心配をせずともとにかく使って使って使い倒させればいい。
でも、わかりません。。。この方のようにAIの出力をみて自分の用途に組み込んでみてどんどんコードを理解していく、そういうことが突き詰められるとすればいいですが、体得するまでのプロセスは汎用的であるか保証はできません。非常に属人性の高いメソッドなのかもしれませんし、そうではないのかも知れません。
この本の場合はプログラムコードがほぼ単一なので自分が作ったコードの全容を見つつ結果もその場ですぐに確認できる環境でのことでした。
一方、上記のエントリーの場合は、これまでであったら新人さんがやれるくらいのこと(簡単なAPI)について書かれているように見えます。
この良し悪しは動かしてみて理解できるほど簡単ではないと想像します。AIが出力したコードでもとりあえずは動くものであるはずだからです。
ただ、なぜそのコード・その実装にしたのか?そこを説明できないでそのコードを書いたとすれば。。。それは何かを学んだといえるのか?という疑問があるのではないかと思うのです。そこが教育内容の転換と仰っているのかと。
考えようによっては、その選択や判断もAIに答えさせることができるでしょう。もっともらしく提案書や仕様書を書くことさえ可能でしょう。
それを検証するためのコードや検証報告書もAIで生成しようと思えばできるでしょう。
何をもって安心・安全とするのか?極論すると 動けばいい という時代が来るのかも知れません。もしかすると今のデファクトな技術選択もAIからすれば異なる答えを出してくる可能性も考えられます。
もう何を書いているのかもわからなくなってきました。
答えは私にはわかりません。とりあえず大学でできる程度のことは、全部をコード生成させるようなことは認めたくありませんが、部分的にAIの補助を借りながら自分が望む形のアプリケーションを作り上げる体験機会はどんどん作っていきたいと思います。
制作にかかる時間をAIが削ってくれるなら、もっと先にいけるはずです。
プロトタイプをどんどん作って評価していく。
より使いやすいデザインにするとか。
汎用性をあげるとか。
そうした様々な試行錯誤から、この条件ではこれよりこの方がよい、という選択ができるようになるのかも知れません。