今、考えていることを行きの電車でつぶやきます。
半世紀を過ぎたくらいの年なんですが、最近、どんどん昔の自分に回帰していくのを実感しています。いい意味での諦めなんでしょうか。それが面白いなぁと感じています。
若い頃に色々見聞きして、ああいう人になりたい、こういうことがしたい、と思い描いたことがありました。
でも、そういうのってうまく行かないんですね。。。たぶん、本能的に求めているものではないのでしょう。やろうとしても長続きしませんでした。
小さい頃、とにかくブロックが好きでした。あまり昔のことは覚えていないのでたぶんですが。
よく弟と暇があれば何か作っていました。親戚の家に遊びに行ったときには、カレンダーの紙を渡されて裏の大きな紙面に弟と一緒にサインペンとか使って宇宙基地とか書き込んで遊んでいました。なんかとても楽しかったのを覚えています。
ブロックも絵も何か空想したものが形になったり動き出すのが楽しかったのだと思います。プラモやラジコンもやりました。
小さい頃の1つの思い出は地元の科学館が開催していた(今考えると文科省がやってたんでしょうかね?)発明工夫展です。今もあると思います。
既存のプラモとかタミヤの工作シリーズではなく、自分で何か考えるのが好きでした。知識がないのでどう作ればいいのかわかりませんでしたが。当時の友人(シマムラくん)のお父さんが制御屋さんで自宅のカーテンを自動で開閉する装置を作っていてそれを見たときのことをはっきり覚えています。今なら商品としてもありますが、こんなことを考えて作り上げられるのか。。。と。実はその会社に入ることになるんですが。。。まだお父さんが在職中だったと思います。お話することはありませんでしたが。
全てにいえるのですが、いずれも極めることは決してありませんでした。一応、博士号は取りましたが、これも取った瞬間に興味を失いました。1つのテーマを何十年も追い続けられる方は決して同じことをしているわけではなく、その中から次々に新しいテーマを見つけることができるのだと思います。私にはできないことです。やりたいとも思いませんが。。。
空想が好きで、その空想が形になった瞬間に興味を失う、ということを繰り返してきました。
なぜ、その対象に興味を持つのかは自分でもわかりません。
少なくとも今のAIに興味はありません。もちろん、何冊か📖をかってあれこれやりましたし可能性は感じますが、なぜか興味がわきません。
前職でGAやNNを使ってシステムを作って限界を感じた経験が邪魔をしているのかもしれませんが。自分でも自分のやる気はコントロールできない。人間って本当に難しいものです。
明日からMFK2024がはじまります。
インタラクションとか展示会とかで他大学の研究室の学生が出展している様子を長らくみてきました。教員になって20年ですが、学生にあれこれ仕掛けてきたつもりですが、私が興味のあることに自ら進んで取り組んでくれる学生はなかなか現れませんでした。
今回、出展を決めた学生は3年ゼミで制作したものを発表すると言ってくれました。うちの大学では学部生に対して旅費等を支払う仕組みがないため、自費での参加になります(GW時期の京都奈良は高いですからね。。。)。それでも行くと言ってくれました。自分のこと以上に嬉しくてたまりません。学生が国際会議とかで発表する、そんなことよりこれが嬉しいと僕は思っています。教員としてはおかしいでしょうね。。。しかたがない、正直なところなので。
教員生活も残りが少なくなってきました。また、こうした学生が現れてくれるようにバックアップしていきたいです。
1つ問題が。「私は情報学科の学士なので回路とかはんだごてとか関係ないでしょう?」という認識が少なからず学生にはあるようです。なんでそーなるの?と思うのですが。。。世界を狭くすることに意味があるのか?まぁ、我々世代は情報っていう分野が後付できたわけですから、電子も情報も同じだと思っている、そこにズレがあるのかもですが。今回、参戦してくれる学生はロボット研究サークルの子でもあるので抵抗が少なかったのかもしれません。何とかしないとなぁ。。。