memorandums

日々の生活で問題解決したこと、知ってよかったことなどを自分が思い出すために記録しています。

何かが変わった年

我々は生きてる最中には時代の変化点を認識することはほとんど不可能じゃないかと思ってる。

昔、携帯会社(パナ)に入った大学の同期が「これからは全員が電話を持つ時代が来るんだぜ」といって信じなかったのを鮮明に覚えてる。

スマホもそう。ペンコンピューティングが当たり前な時代(ザウルスとか)に指で文字入力するなんて考えもしなかった。

これらは現実になった。

車に家電にこれまでさまざまな変化点があった。これらは技術であり工業の話だけど。社会的・人間の特性についても同じように変化点があるように思う。

私語がひどくて授業中に「静かに」といってた時代を経験してる。たった20年の間にである。携帯やスマホが変えたのだと思う。人の行動を。コミュニケーション手段を。暇つぶしの方法を。

本当にわずかなことだが明確にこれまでの学生と違うことを感じた。

今日は最終発表練習だった。

情報学科だけど、真面目にプログラミングしたいという学生はそう多くはない。その中の希望の光の一部がうちの研究室にくる。

比較的真面目で優秀な学生が多い。成績で選んてるとか真面目な子が好きなんだろうあのオジサンはと思われているのかもしれない。別にそんなことはないし、成績よりモノづくり愛がある人を好む。

そんな感じなので発表も最後の最後にはちゃんとしてくれる。さすがだなと思うというよりそれが当たり前と思っていた。

うちの研究室で何より大事にしているのは発表時間だ。割当時間をオーバーするのは準備不足の証拠であり。自分の努力で何とでもできることで、さらにいうと全体のスケジュールが決まっているのだから守らないと後ろがズレることを意識しなければならない、ということもあってのこと。各自の発表内容より優先されるべきは周りに迷惑をかけないという最低限のマナーを守ることだとずーっと言い続けてきた。

これまでは最終発表練習では許容範囲を越えてしまうようなことは無かったと記憶してる。

しかしである。

今年は何件もあった。。。あれ?あれほど言ってたのに。しかも十分に時間はあったはずなのに。

自分の子の話で恐縮だが下の子になるほど時間に対する意識がどんどん薄れていっているように思う。「焦らない」のである。神経が太いといえば聞こえはいいがとても鈍感なのである。

締め切りまでにやらなければならない。やらなければならない基準や仕様が決まっているのにである。何がこうさせているのかわからない。児童心理学か社会学か分からんがこの年を境に変わって行くように思う。

ちょうどいま以下の本を読んでる。日本の人口の1/6にあたる2000万人がこの範囲に入るらしい。私もその中の一人なので本を読んでる。

この時代の中にいてそれでも自分が一度失敗しているのにも関わらす転職もして正規雇用にいるということがいかにラッキーだったのか知らしめてくれている。

若者の将来への展望は時代の特に経済の影響を受けやすいと言われてきた。データで検証している。まだ途中だし理解しきれてないのでまとまったことは言えないが。ただ氷河期後にもリーマンショックに震災にコロナにさまざまな出来事があった。それでも生きていかなければならない。その中で若者は自分を中心とした社会を見て感じて生きているのだと思う。

一つは競争がなくなった、というより競争はあるがSNS等のおかげで隣の芝が丸見えなのかわからないが、必要以上に努力する意味を感じにくいように思う。あきらめというか、自分は自分というか。一方、周りの反応を気にして自己主張は避ける。

たぶん私と同い年くらいが会社ではいいとこ管理職をやっていると思う。(昔のイメージで考えると)非常に扱いにくい人間に映るだろう。体育会系が好まれる理由もよくわかる。

自分の子供も含めて悪く言うつもりで書いているつもりはない。そう感じたなら申し訳ない。でも、率直にそう感じたので書いている。良い悪い、ということではない。

あ〜そうくるのか〜という感想である。別にできなくても叱りはしない。社会のマナーを大学で教えるべきかは非常に迷うところ。そもそもこう書いてる自分だってどんなもんかわからない。会社だっていろいろある。組織だって。そこで感じて必要なら直せばいいと思う。

とりあえず時間が守れない子が出現してきた、それをメモしてエントリーを閉じたいと思う。これがどういう意味を持つのか?持たなのか?何年後かに分かると思う。