はてブ巡りをしていて以下の記事が目にとまった。面白いことをやる人がいるもんだなぁと思った。大学生の頃、時間だけはあったので北海道一周してみたいと思っていた。バイトしながら移動できるなんて夢みたいな話で。若かったら真似してたかなと思う。
タイミーを100回以上使った私が、タイミーで旅費を稼ぎながら旅した話|みかんの缶詰め
そういえば、なんか最近「100」を目にする機会があるような気がするなぁと思って書き出している。
引き合いに出しすぎてどうかと自分でも思うけど以下がまず思い当たる。
#100日チャレンジ 毎日連続100本アプリを作ったら人生が変わった | 日経BOOKプラス
このタイトルを見たときに単純に「よく作ったなぁ」と感じた。
もっと昔でいうと以下がある。当時はTwitterをよく使っていたのでつぶやき放題だった。。。性格があっていたんだと思う。リリース直後くらいから使っていた。今はわけあって使えなくなったが。
それにしてもなぜ人は「100」という数字に納得感を感じるのだろうか?
除夜の鐘は108だよなぁ。何かを習得するには10000時間必要っていうしなぁ。100ってどこからかな?と。
適当にググっても答えらしい答えは見つからなかった。
もしかすると「百度参り」から来ているのではないだろうか?
もともとは百日連続でお参りすることで願いを叶えるという意味だったらしいが、簡略化されて何日でもいいから百回でいいってことになったらしい。昔もタイパ重要ってこと。面白いね。
上の100個アプリの本を読んだ直後、後期最後の授業があって雑談と称して「なんか100個作ってみたら?」などと言ったもので。それを聞いて「よしやろう」と思った人はたぶんいないだろうと思うけど。
でも、よくよく考えてみれば学生に限らずで。
100個、100回、100日何かやってみると凄い感や説得力が増すのだと思うわけです。ちょっと意地悪な言い方に聞こえるかもですが、そんなことはなくて自分もやってみればいいじゃんと自分自身に言っているわけです。
連続してやるってなかなか難しいので、100個や100回くらいが現実的だなと思うのですが、それでもある期間の中で100個や100回やることを目標として何かに取り組んでみるってのは自分としても達成感があるのだろうし、もしかすると何か新しい境地にたどり着けるのかもしれません。
100日飯食うとか、100日寝るとか当たり前過ぎるので、人が1回や1個でも大変だな、ということを100倍にするというところがポイントなんだと思います。
100日で100個論文書く。。。ができたらそりゃ凄いなと思うし、AIの支援を受ければそれくらい可能なような気もするけど。。。どうでしょう?かなり勇気がいりますね。。。いや書くだけならどうにでもなると思うのです。ただ投稿や出版となるとたぶん不可能でしょう。1週間に1本ならやれないことはなさそうな気もしますが。。。 楽しくなさそう。。。
そうか、やはり自分が1つずつやってみたとして楽しいことじゃなきゃダメなんですね。たぶん。料理が好きで100日連続で異なるレシピのカレーを作ってみたとか?ドングリFMで紹介されていましたね。凄い本。好きだったらできそうな感じもします。100日後にnoteとか書いたらバズるかもしれません。