memorandums

日々の生活で問題解決したこと、知ってよかったことなどを自分が思い出すために記録しています。

選挙

世の中、やはり同じ年数を生きてきても違いがはっきりと現れるものだと思います。ある人は最低限の生活をしていくことさえ難しい人がいる一方、ある人は一体どうやったらこんな家に住めるんだろうというような暮らしをしています。

そういう様々な条件と様々な方向性を向いている人が何を望むのか。。。複雑さを感じてしまいます。現状に満足していて大きな変化を望まない人もいれば逆な人もいるでしょう。社会的には個々の持つ影響力の差をなくし1人1票にして意見を集約する選挙、こうしたことが実現できる世の中というのはそうではない世の中と比べれば平和であり平等な社会といえるのだと思います。

ただ、そうやって選択された世の中が本当に国民にとってよい未来になるのだろうか。。。と投票用紙に記入しながら思ったものでした。この辺、全く不勉強ですが。

ChatGPT(無料)くんに以下聞いてみたのでした。その回答がなるほどとは思ったので掲載させていただきます。一応、大きくは裏取り(文献の存在)は確認しました。

プロンプト

選挙って結局、多数決の論理になると思います。候補者が2人いてまったく違う政策を唱えていた場合、かつ、僅差であった場合は半数は意に沿わない候補者が当選することになります。これって結局、世の中は良くなるといえるのでしょうか?疑問です。文献を引用しつつ多数決の論理の正当性について納得できる説明をお願いします。

ChatGPTの回答

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ご質問ありがとうございます。ご指摘のように、選挙は本質的に「多数決の論理」に基づいており、その制度の下では、わずかな票差でも勝者がすべてを得る「勝者総取り」の結果になることがあります。こうした状況に対して、「本当にそれで世の中が良くなるのか」という疑問は極めてまっとうなものです。

以下では、多数決の正当性とその限界について、学術的文献などを引用しつつ、なるべく納得のいく形で説明いたします。

多数決の論理とは何か

多数決は、決定を必要とする場面で、最も支持を集めた意見を採用するという意思決定方法です。もっとも基本的でシンプルな方法であり、古代ギリシャの民主制や現代の代議制民主主義でも採用されています。

政治学者アロウ(Kenneth Arrow)は、有名な「アロウの不可能性定理」(Arrow's Impossibility Theorem)において、複数の合理的条件をすべて満たす投票制度は存在しないと証明しています(Arrow, 1951)。つまり、多数決も「完全」ではないという前提に立つ必要があります。

多数決の正当性の根拠

  1. 手続き的正当性(Procedural Legitimacy)

政治哲学者ジョセフ・ラズ(Joseph Raz)は、「政治的正当性は、全員の同意ではなく、公正な手続きによって得られる」と述べています(Raz, The Morality of Freedom, 1986)。多数決は、「誰もが1票を持つ」という平等な権利の行使による決定という点で、正当性を持つとされます。

  1. 最小限の強制で集団意思を形成する方法

哲学者ジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill)は、多数決が「個人の自由と公共の福祉のバランスを取る」方法として適していると論じています(Mill, On Liberty, 1859)。全会一致を目指すのは理想的ですが、実際には現実的でなく、意見の対立が避けられない社会では、多数決が最小限の強制で合意形成を行う現実的な手段だとされます。

多数決の限界と補完手段

しかし、ご指摘のように、僅差で大きく異なる政策が選ばれると、半数の人が不利益を被る可能性があり、民主主義の正統性そのものが問われる状況になります。

  1. 多数派の専制(Tyranny of the Majority)

アレクシ・ド・トクヴィル(Alexis de Tocqueville)は、著書『アメリカのデモクラシー』の中で、「多数派の専制」への警告を発しています(Tocqueville, Democracy in America, 1835)。民主主義が機能するには、多数派が少数派の権利や意見を尊重する文化的基盤が不可欠だという主張です。

  1. 代替案:合意型民主主義(Consociational Democracy)

政治学者アーネンド・ライプハルト(Arend Lijphart)は、「多数決型民主主義(majoritarian democracy)」に対し、合意型民主主義(consociational democracy)を提唱しました(Lijphart, Patterns of Democracy, 1999)。これは、多様な利害を持つグループが話し合いによって意思決定する仕組みであり、少数派の意見を制度的に保護するものです。

結論:正当性はあるが、改善の余地もある

多数決は「公正な手続き」としての正当性を持ちますが、それが社会の望ましい結果(アウトカム)を必ずしも保証しない点が問題となります。僅差の勝敗で社会の方向が大きく変わるときこそ、少数派の意見をどう制度的・文化的に反映させるかが、民主主義の質を左右します。

多数決の仕組みを補完する方法としては:

比例代表制

二段階投票制

熟議民主主義(deliberative democracy) などが考えられます。

参考文献

Arrow, K. J. (1951). Social Choice and Individual Values. Yale University Press.

Mill, J. S. (1859). On Liberty.

Raz, J. (1986). The Morality of Freedom. Clarendon Press.

Tocqueville, A. de. (1835). Democracy in America.

Lijphart, A. (1999). Patterns of Democracy: Government Forms and Performance in Thirty-Six Countries. Yale University Press.

===============ここまで

「アローの不可能性定理」を初めて知りました。とても重要な考えと思いますが、これってどこかで習うものなのでしょうか。

選挙に行かない人の論理として 1票を投じたところで世の中は変わらない があると思います。わざわざ投票にいくコストや時間をかけても得られる効果がほとんどないと考えれば行動に結びつかないのはしごく当然の論理と思います。

このアローの不可能性定理は日本の教育課程で教わる機会があるのかChatGPTに聞いてみましたが「ない」そうです。大学の一部の学部で習う機会があるとか。。。

選挙のように選択の結果について自分の考えとは異なる結果になる可能性があるという仕組みと、その仕組みを採用する動機を説明するにはこの「アローの不可能性定理」はうってつけだと思います。

学校の教室の中で「多数決」をすることが多々あると思います。そういうときに好まない方向の意思決定がなされることも多くの人が経験してきていることでしょう。

何かを決めなければならない場面において、最も平等で最も効率的に決める仕組みが選挙なんだと。。。言えるのでしょう。今のところ。比例代表制はその少数の考えを救う手段だと言われているようです。確かに政党推し(箱推し?)で考えが反映される場合があるでしょう。

ただ、その代表者による意思決定も結局は多数決になるので。。。少数の考えは反映されにくいものになるのかも知れません。それでもその代表者によって声(提案や発議)が届けられる機会が作られるという意味では意義のあることなのだと思います。

上記のChatGPTの回答のうち以下はまさに重要だなと感じますね。今を生きる我々が見ている社会はまさにこれだなと思います。

民主主義が機能するには、多数派が少数派の権利や意見を尊重する文化的基盤が不可欠だという主張です。

ノブレス・オブリージュですね。そういう考えを持つ余力が与党にあるかどうか。

それには対話なんですね。どういう方法をとっても決まってしまう。決まってしまったあとが大事でしょう。