行きの電車で探し物をしていたときにたまたま見かけた動画が以下。
できない問題にまず遭遇することでより注力する意義のある問題に注力させることができる は凄い教育?方法だなと思った。
利益を追求する企業でこれをやるのは一見遠回りな気がするけど、結局、制作だけではなく企画をやる人からするとそもそも解ける問題を見つけて解いていかないとお金にならないわけだから、その違いを嗅ぎ分けて解ける問題に全力で取り組む的な素養を身につけるって若ければ若いほど大事だな。。。と納得した次第。
日頃やっていることは、すぐに答えが出そうで解けそうな問題に取りかかることが多いけど、どうしてもその問題のことが気になってしまって解けない問題に取り組もうとしてしまうこともある。これはなかなかの無駄で。
オリジナリティを目指すとたまにブルーオーシャン的な漁場が見えるときがある。ただ、研究されていないことにはそれなりの理由があるということが後々、自分の中で発見してきた。それを体験的に教えてもらえるというのは非常にありがたいだろう。
解けない問題は何か考えてみた。
例えば、7,8年前に学生と取り組んだ 駆け込み乗車を防止するシステム 。
これは本当に難しい。。。結局、警報をつける程度に留まってしまった。全部の車両にそのセンサーをつけるのか?という疑問も質問もあり無理だなと思ったし、そもそも警告が出たって乗りたい場合は乗るに違いない。それは難しい。。。
今だったらホームドアを設置する動きも盛んになっているので、ホームドアを先に閉めれば無理な乗車はできなくすることはできるかもしれない。
世の中、解けない問題はある。コストや時間を無視しても難しい。
■追記
電車がついてしまったのでとりあえず公開した。ちょっと追記したい。
研究するときにテーマが決まれば研究の○割は終了したと思ってよい、と言われるくらい難しい。
上記の話に関連すると思う。
そこで見誤るとはてしなく時間を浪費する。。。
世の中で成功している人は、とんでもない天才か、解ける問題を誰よりも早く見つけたあるいは上手く解いた人だと僕は思っている。
なので、上記の教育?は単純に凄いと思った。
私が会社勤めしながら社会人博士課程に在籍していたときのテーマ探しがまさにこれだった。
論文のタイトルは「自動搬送ラインの設計支援のための準具象物流シミュレータ」だった。博士論文もこのタイトルだった。
もう四半世紀前の論文になる。月〜金は仕事で土日に大学に通った。仕事もちょうど大規模案件の実行リーダーを初めて任されたときでとにかく出張も多かった。ただ、やる気だけはあった。
テーマを決めるとき先生がご自身のテーマを最初に提示してくれてそれを少しやり始めた。ファジィ連想記憶関連だったと思う。でも、どうしてもその手法がうまくいくとは思えなかった。ここが生涯厨二病だと思うゆえん。
ちなみにこの研究室はニューラルネットワークを研究していたけど修士のときにGAを一人やっていた。そんなヤツだった。私は。
このときに先生が提示してくれたテーマを一緒にやって業績を積んでいたらたぶんもっと違う未来があったかも知れない。でも、それを選ばなかった。解けそうな問題と絶大な支援が得られることを拒否したのであった。。。
自分の問題を解きたい。少なくとも自分がいた当時の現場では困っていることがたくさんあった。困っているというよりは、少なくとも自分が案件を俯瞰してみる立場になったときにもっと違う効率的なやり方があると思った。本体の制作はしない代わりに支援ツールやコミュニケーションツールの適用などした。その経験があったので、やはり現場をもっと楽によくしたいという気持ちが強かったんだと思う。
自動制御ラインを設計するときに当時、3D技術がこなれて来てバーチャルファクトリがなどが流行りになっていた。仮想的にコンピュータ内に工場を再現して、そこで設計支援しようという流れはあった。どれくらいメジャーだったのかはわからないが、確かにその流れはあった。
そこからずーっと情報収集したり試作したりしながら3年もかけてやっとたどり着いたテーマを図にしたのが以下だった。工場の制御はセンサとアクチュエータで行われる。一つの例として搬送ラインを考えた。ちゃんとした3Dモデルを構築してバーチャルファクトリのようにするのも手間がある。そこでもっと抽象化した(それでも待ち行列までは抽象化しすぎない)設計支援ツールを作ろうとした。
この考えにこの研究を支えてくださったもう一人の指導者である佐賀先生が「準具象」というキーワードを考えてくれた。これは非常にこのテーマの本質をえぐっていると思う。今も思う。
HCIは人間と機械の関わりであるから手間と成果のランデブーポイントがある。そこを見出してくれ、さらに論文として体をなす論述方法を教えてくださった。感謝しかない。
このアイデアはいまでも我々の研究に息づいている。例えば、今年のある学部生の卒業研究の1つが以下だった。システムとしてはとても素朴で簡単なものだけど考え方は同じ。3Dモデルを作成する手間を最小にするため2Dでデザインして3D化しウォークスルーできる。
解けない問題は本当に解けない。なので解けている時点でこれは解ける問題だったけど解き方を探すのに時間がかかったという例に過ぎないが。。。
それでも、そういう問題を自分で見つけるべきなのか?それとも先人の知見を発展する方向に力を発揮するのか?人それぞれなのだと思う。どちらがいいということではないと思う。
あまりまとまりは良くないが時間をかけてしまったのでそろそろ終わりにする。
結局は自分がやる気になる問題にどうやったら遭遇できるか?ということ。問題そのものかもしれないし。もしかするともっと抽象化したものかも知れない。問題がなんであっても人助けができればいい、という場合もあるだろうし。その抽象度も人によって異なるのだと思う。