あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
子供と年末に天神のジュンク堂に行ったときに以下の本を買ってきました。
諏訪先生らによる著書です。
内容についてはこちらの方が詳しくレポートされていますのでぜひそちらをぜひ。
ご本の内容は以下の通りです。人工知能学会の紹介文です。
「知」を研究対象とする著者ら人工知能研究者は、客観性を第一義とし多数の 中から普遍性を求めるこれまでの研究手法のみでは「知」の攻略は難しいと考えるにい たった。
「知」は個々人の中に内在している。そのため、個々人の視点の中で語られて こそ、その本質が理解できるのではないか? つまり、「一人称」視点を追究すること が「知」の攻略につながる、と考えるのである。
本書は、一人称研究の考え方と実際の研究事例を丁寧な語り口で解き明かして いく。人工知能に興味のある読者はもちろん、新たな研究姿勢を模索する理工学、人文 学系の読者も興味を持って読むことができる。
論文というか科学に必要なのは客観性であり普遍性です。ある人だけ成功して他の人が再現できなければ価値がないですもんね。。。当然といえば当然です。そんなものわざわざ論文に書いて記録を残す必要なんてないわけです。
でも、客観性を重視するあまりに個々人の生の声?感情?考え?思考?などを無視して本質が見えなくなっているのではないか?被験者の声に耳を傾けて分析すれば新しい知見が発見できるんじゃないか?という主張と思います。
まだ、全部を読んではいないのですが(。。。すいません)、冒頭の諏訪先生の章に気合が込められている気がしました。そこはじっくり読みました。本書は人工知能学会の企画のようですので、研究の対象は人工知能なのですが、人間を対象とする研究全般(というか自分の研究)にも当てはまるのではないかと感じました。
それで、これを書こうと思いまして。
以下、誤解というか、一人称研究を自分の都合の良いように解釈しているかもしれませんが、勢いで書いてみたいと思います。
転職して現職に就き、10年くらいプログラミングを指導してきました。
当初、企業人(というか大人)目線でしたので、情報系に進学した学生なんだからプログラミングには興味があるはず。。。と思い込んでいました。
でも、自分が大学生の頃を思い返せば、大学や学科の選択は偏差値で決定することが多く、なんとなく興味がある程度で選択する場合も多くありましたので、無理もなかったとしばらくすると気づくわけです。
プログラミングしてエラーが出て「先生、わかりません」という声を聞きます。「エラーメッセージに場所が書いているでしょう?そこをまず見るんだよ、まず」といったことを何度何度も同じことを教えます。
TAが数名つきますが、それでも全員を隈なく観察することは難しく、手を挙げることを躊躇う学生もいるため、躓いている状態の学生を割り出して支援するシステムが欲しいと考えていました(もちろん、そうした研究はたくさんなされています)。
学生だけでなく、プロでも開発時にライブラリやクラスの使い方を参照したり、保守時にバグ特定や機能追加の影響箇所の特定でプログラムを読むことがあり、そうした作業もコンピュータによる支援が役立てたいと考えていました(もちろん、これもたくさん研究されています)。
脱線しました。
こういう研究の多くは、提案する支援方法の妥当性、十分性、一般性の評価を行う必要があります。
被験者を数人から数百人など集めて。
しかも、プロの支援に対して、被験者に学生を使うのはおかしい!ということで、プロにわざわざ被験者になってもらい評価する必要もあります。
2、3人ならまだしも数10人となると大変ですね。。。それでも最近はインターネットがあるのでそこで募集して実験に参加してもらうこともできますが。
でも、そうして数を集めて統計処理をして、5%の有意水準で差が認められたらその支援ツールは本当に役立つんだ!といっていいのか?(もちろん、1つだけで「役立つ」と主張している論文は少ないと思いますが)
素朴に思うわけです。
いやいや統計処理が悪いと言っているわけではありません。逆に統計は便利と思います。実験データを集めて、そこで有意差が出れば、まず1つの可能性としてOKと言えるはずです。仮説(役に立つはず!)を立てて実験で検証するわけですから、有意差が出ればそりゃ嬉しいわけです。実際に嬉しいです。
でも。。。
上記の通りで、やったことを論文にまとめるには、客観性を主張するためにデータ集めて。。。という作業が必要になります。でも、被験者の個々人のことは、ついで程度に扱います。よくやる被験者による主観評価です。要はアンケート。
私が論文書きが下手くそなのもあるのでしょうけど、こういう書き方というか主張の仕方はとても窮屈な感じがしていました。やりますけど。。。
でも、目の前に困っている人がいるのに、その具体的な人を助ける方法を考えて有効性を主張するのに、被験者を別に数十人集めてきて評価しなければならない。。。手段が目的化してないだろうか?と感じました。
なぜ、そう感じるのかなぁ?
たぶん現場で顧客と一緒にソフトウェア開発(受託開発です)をしてきた経験があるからだと思います。
受託ソフトウェアに普遍性も●ソもありません。
その顧客を始めとするステークホルダーに貢献できるかどうか?です。
貢献するため、要は喜んでもらうためのシステムを提案し開発することを10年くらい仕事にしてきました。
その間、もっとこういう支援ツールがあったら楽なのになぁとか、シミュレーションツールがあったらいいのになぁ、と考え製作することがありました。
次第にそれを真ん中の仕事でやりたいと考えたのが転職を考えるきっかけだったと思います。
でも、そのノリで論文を書くのは非常に辛い。難しい。論文を書く経験が浅かったこともあると思います。
企業を辞めてしまったのでデータを取ることも困難です。守秘義務も当然あります。
「開発と研究は違う」 単純にそう考えたときもありました。
論文が書けるような研究手順を踏まなければならない。。。論文漁ってなんとなく気になるテーマを選択して実行するという感じでスタートしました。
でも、ここにきて本当にこれでいいのか?と思うのです。
本気で知りたいと思っていることなんだろうか?とですね。
そんなところにこの本に出会いました。
有名な研究者でもこういう風に考えている方がいるんだな。。。と。嬉しくなりました。
自然科学では生物や海洋や対象を追い続けて数十年を過ごす研究者をよく目にします。
対象が好きでたまらなく、ずーっと追いかけているうちに研究者になっていた。。。そんな感じの人に憧れます。
ソフトウェアの世界はまだまだ新しくコンピュータやOSや言語が凄まじい勢いで変化していきます。
その支援方法も自ずと変化せざるをえません。
虫を追っかけて、その世界を勉強すればするほど知の世界が広く深くなる世界ではありません。
ある技術、ある製品がリリースされるだけで世の中と価値観が一変する。。。そういう世界です。
まとまらなくなってきましたが。。。
僕もこの本に書かれているようなN=1(一人の人を対象として分析・調査する)の研究に興味があります。ぜひ、やってみたいと思います。
昨年のSpherotoonではないですが、やりたいことをやる、それが許される仕事なので、ぜひそれを全うしたいと思いました。
でわでわ。