分厚すぎるドキュメントという文章を見る機会があった。
UMLが注目される今、設計過程で生成されるドキュメントはあるのが当たり前である。一方、MDD(モデル駆動開発)のようなCASE的な考え方もある。
冒頭に紹介した文書では、「なんといってもコミニュケーションである。」と締めくくっている。
いくらCASEツールが整備されても、それがチーム全員が使わなければ意味がないし危険でもあるというわけだ。
仕事では確かに文章を設計作業の成果物と位置づけて、お客様からお金を頂く品物となっている。
しかし、お客からすると設計書は不要なのだ。最終製品と取扱い説明書、保証書さえ手にできればいいはず。
自動車、家電、家などは、お客様が設計書を手にすることは無い。
ただ、自動車も家電も家も設計は必ず必要になる。
製造メーカーの倉庫にしまわれているはず。
土建、機械ではCADは無くてはならない存在だが、コンピュータ業界のCASEツールはそこまでいっていないように思う。
昔から議論されていると思うが、なぜか?改めて考えてみる価値がありそうだ。