今さらながらに思ったのでメモ代わりに書きます。ダラダラ書きますのでちょっとまとまりが悪いですが、ご容赦を。
今日の通勤電車でミニプロジェクタで何かできないか考えていました。研究室に着いて関連研究を調べてみるといろいろあります。インタラクション2010で1つ見かけました。こちらはハンドヘルドプロジェクタと呼んでいますが。
で、たまたま見つけたのが以下のエントリー。この表題の通りの内容です。
Link: ミニプロジェクタを集めてタイルディスプレイ
このエントリーを目にしたときにふと思ったのは、インターネットがあるから欲しい情報を欲しいときにアクセスすることができます。まさにオンデマンド。それはそれとして。
ただ、こういう情報もエントリーを書きたいと思った人が(わざわざ)その人の時間を消費して記録を残す活動をしなければ残りません。当たり前の話ですが、不思議ですね。。。このエントリー自体もそうです。わざわざ書く必要があるのかどうかもわかりません。でも書いている。不思議。
近いものとして古来から日記があります。日記はなぜつけるのか?もちろん書かない人もいます。その違いは何なのか?日記の他にもバイラルもありますね。わざわざ人にいう必要がないかもしれないけど言いたくなる衝動。あと、私が良くやるのは忘れっぽいし、精神衛生上もライフハック的にも将来使うかもしれない情報ですぐ使わない情報は外部記憶に置いて頭からは消したい例もあります。まだ、あるかもしれませんが、人がインターネットに情報を記録して公開するパターンとして以下の3つが思いつきました。
で、本題の「なぜ情報を記録するのか?」についてちょっと検索してみると、日記についてですが以下のようなエントリーがありました。
Link: 日記をつけると心が健康になる?
なるほどです。心の整理になるんでしょうね。また、「ふりかえり」効果によって行動が改善されるのかもしれません。サッカーの本田選手が小さい頃からサッカーの練習日記をつけていたという話はテレビで知りました。
逆に、情報を発信しない人はなぜ発信しなくて済むのか。性格の問題なのか脳の構造の問題なのか成長過程の違いなのか。不思議、不思議、で終わってしまいますが、情報発信することと何らかの行動特性が相関している、そんな気もします。