memorandums

日々の生活で問題解決したこと、知ってよかったことなどを自分が思い出すために記録しています。

エンジニアという生き方の原点とは?

エンジニアになろうとしている人、すでになっている人、それぞれ思惑があって目指している(目指してきた)のだと思います。

大学教員になってせっかく現場を経験した人間が教えるのだから少しでもリアルなことが体験させられたらと思い授業計画したり試行錯誤してきました。

結果、やはり学校という環境、学生という立場、がある限りママゴトはできるけど本当の意味での体験にはならないのだなぁと思い至っています。

限られた時間、しかも週に一度しかないうえ、学生から見ればたくさんある履修科目の一つに過ぎない、ことを考えるとよくある形の授業にならざぶを得ない結果になりました。力不足です。ほんと。また、そういう物理的な差の他に、学生と社会人ては何が違うのか考えてきました。

最近一つ感じるのが「人の役に立ちたい」というマインドの優先順位です。

誰だって持ち合わせている考えだとは思いますが、学生だとこの優先順位が社会人と比べると低い(かなり低い場合が多い)と思います。

これは今に始まった話ではなく30年前に学生だった自分も自覚があります。作ったものが面白くてすげーって言われたい、くらいの考えはあったはずですが、それが人の役に立つ、立ったら嬉しいが想像できていなかったと思います。

人の役に立つから、対価が貰えて、喜んでもらった姿や声を聞いて、またやろう、もっとやろう、という気持ちになります。

エンジニアは他者の評価がなくてもモノを作ること自体が楽しい人(生まれながらのエンジニア)、ではあるはずですが、やはり褒められたり(承認欲求)、めっちゃ助かったわーまた頼むよ(自己有用感)、と言われて胸がほっこり温かくなったり、そういう気持ちや体験があるからエンジニアと言う生き方が自分に寄り添ってくるそんな感覚ってあると思うんてすね(後天的エンジニア?)。

そういう大元ってやはり「人の役に立ちたい」というマインドなんだと思うのです。これがあればてきる企業陣に求められる「自走力」も自然と実践されるでしょうし多くの経験を通して成長していけるのだと思います。

学生の研究やチーム開発を見ていると自分自身が選択したはずのテーマであるにも関わらず楽しんでない、もっとこうしてみたらいいな、という試行錯誤をする動機が弱いと感じるのです。なので少しでも工夫や試行錯誤する姿をみるとめっちゃ嬉しくなります。たまにいるんですよ、学生でも本当に考えて作っている子が。そういう子は自然といい企業に行きますね。ちゃんと自分というものを持ってるって。

そういうマインドってどうやって育てるんでしょうね?育つもの?そもそも持っているもの?持たない人もいる?

会社の人に「やりがいってなんですか?」と尋ねてよくある回答が「納めたシステムを使って喜んでもらうこと」がありますが。これのイメージってわくのかどうかですね。。。そういう経験がない状況で。鶏と卵か?うーん。。。

■追記

以下、Google様から読んどけと。

計算機科学の終焉

最後の段落が好きです。ハッカーが今もなおコートを書きコードをハックして楽しんでいる。ブロックを組み合わせてやっと動いたときの感動は自分で作らない限り得られません。

genAIが回答して作ったコードは確かに一瞬で完璧に動くのでしょう。そこに昔ながらの楽しさはありません。

郷愁感だと何と言われようともその楽しみをAIに奪われたくはない、そう思うのです。この記事のタイトルは、計算機科学というよりは人が人のために地道にコードを書く価値の終焉としてもよいのかもしれません。

拒んでもそれは必ずやってきます。genAI後の世の中では、ものづくりが好きな人(に求められる)の気質も変えていくのかもしれません。昔を知るものとしては残念ですが便利なものを手にした人間は止められません。

ものづくりの多様化なのでしょう。苦労して登山したい人もいればロープウェイで頂上まで行って景色だけみたい人もいます。そういうことなのでしょう。そうなると価値観も変化していくでしょう。