本日、卒業研究の中間発表会です。例年は質疑も1分と短く設定していたのですが、今年は研究室数を減らして3分にする変更が加えられました。少し議論できそうなので楽しみにしています。
さて。。。
一般論として研究テーマの決定の難しさがあります。研究テーマが決まれば研究の大半は終わったと同じだ、と言われるくらい重要な仕事です。
研究テーマは基本は自分で決定するものです。自分が知りたいと思ったことを調べて作って評価して納得したいからです。
ただ、卒業研究とかだと研究テーマを決めるのは多くの人にとって人生初の仕事になります。最初は専門的な知識も不足していてその技術を取り巻く状況も理解が不足しています。
だからこそ、他者の研究を調べて自分なりにその狭い分野について一定の知識を得ることで、知識や理解の不足が埋まって、専門家として議論できるまでに成長していきます。
こういう成長を見れるのはやはり学校という組織で人材育成に関われる面白みの一つだと思っています。
うちの研究室は世の中の何かしらの課題を見つけて対応するシステムを開発する、という大きな枠で研究を進めてきました。何か自分で考えて自分で作りあげるという経験ができたら会社に行って役立つものがあるだろうという考えからです。
研究テーマは各自の生活の中で見聞きしたり体験した問題をベースにしています。学生さんという立場で今、世の中にあると感じる課題を見つけ出し、その課題を今ある技術を組み合わせて対処するという流れです。
そのためか、先輩と同じものを連作として続けるということはまずないです。続けた方が研究としては広がるし本人も楽だと思うのですが、それをやりたがらないのは私の研究室に来る連中の特徴かなぁ。。。と思っています。
大変ではありますが、僕も飽きっぽいので毎年新しいことに関われるのは楽しみでもありますので。
ただ、もし、研究テーマを決めるのに他人の意見に従わなければならないとすると。。。その研究って面白くないだろうな。。。と思うのです。
研究テーマではないのですが、私も院生の頃に先生に論文のレビューを1年近く受けた経験があります。毎週、持っていって読んでもらってこうしたらいいよ、という助言を受けます。そこを変えたら違うところの助言があります。すると前のパートが合わないから考えて、と助言を受けます。文字だけでは説明が難しいのですが、どうして先生がそう感じるのかわかりませんでした。次第に自分で考えるのをやめて言われたところだけ直すようになっていきました。
今、考えると、あくまで執筆者は自分なのだから自分で考えて整理していくのが重要だし、それに1年近くも付き合ってくださったことに感謝しかないのです。が。。。その最中は本当に辛い日々でした。仕事が終わってから研究ミーティングに大学に行って高熱が出ていたときにミーティングがあって話しているうちにいい年(30歳くらい?)して涙したことがありました。本当に恥ずかしいお話しです。
そういう経験があるためか、ダメ出しするときにはちゃんと説明をすること、説明できないようなダメ出しはすべきじゃないこと、を学んだような気がしますし、教員になって20年過ぎましたが失敗も多々ありましたが修正してきたつもりです。
あくまで僕の考えですが。同僚とか同等の立場のプロフェッショナル同士が意見を交わすときにAよりBがいいに論理的な説明ができないようなレベルのこともあるだろうと思います。それはいいと思います。責任を取るから意見をするのでしょうし。でも、学校では教員と学生です。立場が全く違います。共同研究者とはいえ。なので指導する以上は説明責任があるだろうということです。
何のこっちゃ。。。という感じかと思いましたが、ちょっとしたことがあり考えたことなので自分の考えを書き出してみました。
以上です。