査読依頼に対応中。5月9日までに報告せよとのこと。はい了解です。
専門外の論文を読むのはなかなか苦痛。。。
たぶん、科研審査の方も同様の気持ちなんだろうと思う。
すべての専門に通じている人なんてまずいないだろうし、専門だったとしても自分が関わったことがある技術だってたかが知れている。
その中で有効性を判断する必要がある。
まず、 読みやすさ 。文章として簡潔に表現されていて、読んでいるうちにまた先を読みたくなることが大事だとわかってくる。
そして、 全体構成 。よくあるIMRADじゃないけど、そもそも章・節のタイトルを見ていけば全体のどこに何が書いてあるかわかるようにしてくれていると非常にありがたい。
ここは読むべき。ここは飛ばし読みしてもよさげ、という感じ。
あとは、 ギャップが明示されている か? 関連研究が十分に列挙されている か?最初に示した問いに対して ディスカッションが十分か?
あとは見た目。
英語の良し悪しが判断できるほどではないが、それでも読みやすさは感じることができる。
最近、自分自身も指摘されることがあって意識しているのが 図のキャプションの説明が十分かどうか? 。これって昔の和文論文では本当にタイトル的な形でしか書いてこなかったけど、英語論文では図だけ取り出しても(本文を読まなくても)十分にその図の見方や意味するところを説明すること、が求められる。これって分野によるんだろうか?わからない。
でも、確かに言われてみれば他者の論文を読むときにそうなっていないのを見ると、この図って何のためにあるの?どう見るの?何がポイントなの?と見えてくる。
いちいち本文を読まないとわからないってのは不親切だな。。。と。
言われて初めて気づくことがある。
脱線する。
20年以上前にまだ北海道にいたころ、家族で週末に日帰り♨️に行くのが楽しみの1つだった。洞爺湖温泉も登別温泉も近い場所だったので。
確か昭和新山麓の温泉(北の海記念館に隣接?)に行ったときに、後ろのおじさんから怒られたことがあった。「さっきからよ〜シャワーがガンガンかかってくるんだ。気をつけろ」と。私は最初「えっ?何のこと?」と思ったくらい意識してなかった。。。
九州に来てからも日帰り温泉に行くことがあるけど、やはりシャワーをガンガンかけられることもある。でも、僕は言えない。。。気の小さい男なので。。。そのオジサンには感謝しかない。気づかせてもらったからそれ以降は必ずシャワーを手に持って使うときには真下に向けるように注意する。
脱線終了。
ということで、指摘してもらえることは大事だなと思う。
採録されるため、ということもあるけど、やはりいかに気づけるか?だし、そういうのって本とかに載っているわけではない(つまり他人から授業で教えられるものではない)わけで。
なので、実際に自分で審査してみると審査される方の見方を学べるというわけです。
就職の面接練習なんかも、実は学生として練習するだけではなく、面接官として練習してみれば自分の悪いところがよくわかるはず。。。と思っている。いつかその練習プログラムを実践してみたいと密かに思っている。
あ、ちなみに和文の査読の場合は「てにをは」から指摘する方もいる。。。これは本当に意味があるのだろうか。。。と思うときもあった。英語が適当に査読しているというわけではないと思うが和文の査読とは別次元の指摘がある気がする。個人的感覚だが。。。なんとなく日本のハイコンテキスト文化がそういう重箱の隅まで整えたくなる気質に結びついているような気がしてる。
ということで、査読って偉そうなことをしつつ、自分の論文の書き方に反映している最中でやんした。
おしまい。