初の採択から4年経過しました。4年なんてあっという間でした。。。本当は3年だったけど1年プラスしてもらいました。
今年度で切れるので久しぶりに申請しました。内容的には採択された研究(デバッグ支援ツール)の先の研究になります。個人的には意味あることと思ってるし、少なくとも自分は使っていいなと思っています。自分が欲しい製品やサービスはないから作ってるわけです。
改めて申請書を見てみると、まあまあまとまってるなぁと思ったりもしているわけです。
ただ、1つ大きな問題としては、採択された4年前はビフォーChatGPT族だったことです。改めて調べてみるとChatGPTが出てきたのは2022年11月。もう当時のことも忘れつつあるくらいそれから目覚ましい進展がありました。
最近、参加する研究会では必ずLLMやらRAGやら使った研究を見かけます。もういいよ。。。と個人的にはうんざりするくらい。でも、チャレンジングなわけですよね。。。たとえ自分で作ったモノではなくても利用経験自体が稀有だからどう使えばいいの?という知見は全然足りてない。だから研究して公表していかなければならない、はもちろんわかるんです。
なので、審査員もそういう見方が普通になっていて「それってAI使うのが普通じゃね?」となる可能性は高いとは思うんです。僕みたいに捻くれ者が審査してくれていたら「ああ、これって現状のAIではできないし意義はそれなりにあるなぁ」と思ってくれたらいいなとは思うわけです。
私の研究にしたって今のAIならコード与えてデバッグしてと頼めばそれなりにできるはずです。修正さえしてくれるでしょう。ただ、コードレベルでは検査できてもデータベースやネットワークなど環境要因のチェックはなかなか難しいのでは?とは思ってはいます。それも解消される時期はすぐくるとは思っています。デジタル化できるものはAIに与えられるわけです。そこから認識・推論して膨大な情報と照らし合わせてそれっぽい答えを出すことには長けています。当面はAIには与えるのが難しいような分野を研究していくしかないなぁという感じですかね。教育面では人の認知や記憶や理解はAIには直接は理解できないでしょうし。人だって難しいわけですから(いずれできるとしても)まぁ今後10年くらいでできるとは思わない(思いたくない)なぁとは思います。
ということで、結果が気になりだしたのが昨日でした。昨日は気分転換に図書館で作業しました。作業の合間で申請サイトに行ってはまだか。。。の繰り返しをしてるとだんだん面倒になり、ROM専用のX垢でキーワードをいれて眺めていると似たような人がいてつぶやき見てると、同じような心境だな。。。と思えてくるわけでした。人生が掛かっている人もいれば連敗中の人もいたり。
大人になると仕事にも慣れてなかなか結果を待ちわびるようなことは少なくなります。一昨日、書いてやっぱりやめようと思ってエントリーを消した就活相談のことを思い出します。頑張っているつもりだけど結果が出ない。トライしてもお祈りメール。。。ああ、似てる。このXに流れる人達と(自分も含めて)。結果がどっちであっても時間は流れていきます。その学生さんに伝えたメッセージ「必ず結果は出るから気を紛らわしながら粘り強く頑張ってください」を自分自身に言わなければならないですね。人のことは冷静に考えれる。でも、その偉そうに言っている人も自分のこととなると別なんですわね。。。そりゃそうです。他人と自分は違う。
言い訳になりますが。。。情報系の研究って材料とかもいらないし若い頃はあまり申請に前向きではありませんでした。大講座もありませんからSEから教員になって研究に関しては特にプレッシャーもなく過ごしてきました。周りでそういう話が出なかったので宝くじみたいなものとさえ思っていました。そんな感覚で申請してましたので(書くときはもちろん一生懸命やってたつもりですが)、必ず結果を出してやろう!とは思っていなかったと思います。
ただ、海外の雑誌に投稿するようになって目が飛び出るようなAPCが必要になることを知りまして。。。お金がないと研究できないと遅まきながら実感したわけです。いや研究はネットとパソコンさえあればできます。これまでやってきたように。国内の雑誌ならせいぜい10万円くらいです。これくらいなら大学から支給される研究費で賄えました。でも、出版して世の中に公表するのがプロとしての責務とすれば、出版しない研究はただの趣味でしょう。。。もっと早くにそのことを認識しなければならなかったのですが。。。意識が低かったのだと思います。最近、ある方から「これを獲得したことがない研究者は他の研究者から認められてない証拠だ」というありがたいご指摘(まぁダメ出しです)をいただいたことがあります。確かにそうだなと思います。一種の証明書のようなものだとも思います。宝くじじゃありませんね。。。死ぬ気で狙いにいかなければならない、そういうヤツです。
今日の14時説と16時説がある。さあ、結果はどうなりますやら。太宰府にお参りに行ったら採択された、というつぶやきがありました。これから行ってこようか。。。行きませんけどね😁
■追記
14時をまわりましたが基盤の結果はまだありません。挑戦はあるとかないとか。。。どうして日時を事前に提示しないのか?というつぶやきを見かけましたが、恐らくは電子申請システムのサーバー負荷の分散化と万が一の不具合があったときの対応を最小化するためでしょう。もし、僕がこの担当者だったら段階的にオープンにしていく、さらに日時を明かさない案は特別コストをかけなくても実現できるから思いつくだろうし採用するだろうなと思います。ドラマじゃないですがSNSの状況をみてストーリーを作り変える(今回の場合なら開示する日時をずらす)はやりそうな気さえします。早く見ても遅く見ても結果は変わらないから一般的に結果出たというお知らせを見てから確認するくらいがちょうど良いのかも知れません。
■追記2
お祭りが終わって結果が出ました。不採択でした。。。なんだかな。。。と思ってこのエントリーも削除したのですがやはり教訓として残しておこうと思って復元しました(はてなブログサーバーが不調でしたが)。
で、ついでに、負け惜しみになるかもですが、頭が冷えたところで1つ考えたことがあります。受託研究せによかけんにせよ紐付きの案件というのはモチベがやはり違います。気合が入りますし責任も感じます。やらなければならないという気持ちになり自然と成果が出ます。これは間違いありません。お金が欲しいというよりは成果を出すための駆動装置として欲しい、というのも外部資金が欲しい理由の1つではないかと思うのです。実際に私はそう感じました。
で、今回、落選だったわけです。「不採択」の文字を見たときはやはりショックでした。上にも書きましたがそれなりに自分では意義があると思って書いてはいるので。どうやったら通るのか。。。やはり宝くじだな、と思うモードに入ってしまいそうになるわけです。
でも、少し冷静になって考えてみると、何かしら人様に理解してもらえるような成果を求めて研究するということではなく、本来の自分が本当に知りたいと思うことに集中することができるのではないかという考えが浮かんできます。負け惜しみに見えるかもですが。そう思ったのはお祭り最中に見かけた以下のつぶやきでした。
ノーベル賞受賞者から「君ね、自分のやってることに社会的意義を見出そうなんて思ったらダメだよ」と言われた - Togetter [トゥギャッター]
結果が出る前は、まぁ、そういう考え方もあるよな。。。くらいにしか思いませんでしたが、いざ、目標を失うと、見せるための研究というより自分が本来やりたかった研究というもの目指してもよいのかな。。。と思えるわけです。
もちろん結果はある程度イメージして進めることにはなると思いますが、期限が決められているわけではありませんし、1年も前に立てた計画通りに進めなければならない(遅れも許されない)ということもありません。寄り道した結果、別の方向に走り出したっていいわけです。誰にも文句は言われません。自己責任です。面白いと思う方向に貪欲に進んでいれば何か藁くらいは手につかむことができると思います。今までもそうでした。何か面白いと思ってやってきたことが色々な場面で役立っています。来年度の申請はもちろんするとして、それとは別に自分が本来やりたいと思う研究を粛々と進めていこうではありませんか。。。と思ったところです。