後期の成績が出揃い、進級可否が見えてきた。
努力が実った人、そうでない人、それぞれである。
半年というのは長いようで短い。あっという間である。
でも、学生から見れば短いようで長い。とてつもなく長いのかもしれない。
高校生活を終え、実家を離れて自由を手にした若者には15回の授業と1回の期末試験に出席するのが大変な場合もある。
余談だが、今日、たまたま聞いたポッドキャストで、大昔に東大の有名な教授の先生が第一回目の講義で「君たち、何をしているんだ?今、できることがあるじゃないか?授業なんかに出てどうする!?」といったことを言ったそうだ。その先生の主張は大人ならわかるだろう。親なら「おいおい」って思うだろうけど。昔の話し。
その他、インターンシップでの企業担当者からのレポートについて当時者にどう知らせるか、就職がうまくいかないゼミ生の未来を見据えての言葉かけ、1科目落として留年しそうな学生への対応。
学校は、学生は、大いにチャレンジして失敗して痛い思いをして経験する場所、というのが今の僕のモットー。。。だけど(かく言う自分もたくさん失敗し、そしてたくさん救われてきた)
本当に失敗した学生を目の前にしてどうするか。。。が難しい。
本人の知らないところで救っては何の経験にもならない。
かといって留年して1年を棒に振ることが本当にいいことなのか?これもわからない。
長い人生考えれば1年くらい。。。とも思えるかどうかは本人次第。
その場その場で精一杯考えて行動して話し合って判断するしかない。
そう思っている。
■ちょっと追記
自分で書いたのを見ると、こんな学生ばかり。。。と思われるのはちょっとまずいと思いフォローを。ここで書いた学生はごく数%。手助けが必要となる学生のケアをするのが仕事の1つ。そして手がかかる子ほど関わる時間も長く記憶にも残る。まじめで誰のでも借りずに卒業した子はほとんど記憶に残らない。
新卒で年代の異なる人との付き合い方がわからない。。。なら、たくさん面倒を掛けてしまう、というのも一つの付き合い方なのかもしれないと。
昨日、たまたま見かけた深夜番組で美輪明宏さんが(記憶が怪しいけど)「人に関わるということは面倒を抱え込むということ」のようなことを仰っていた。まさにそうだな。。。と。人と関わらなければ煩わしさはないし、何かもらうことがないかわりに何か損を被ることはないわけで。
親がいて子供がいて。上司がいて部下がいて。関わらなければ生きていけないし迷惑かけたりかけられたり。
人によるでしょうけど、何かを買ったとか所有したとかいう記憶より、誰かと関わって起きた出来事が記憶として残るような気がしてる。記憶に残すことが意味あることとは言い切れないけど、なんか生きているって感じがすると思う。