以前にもここでご紹介したことのある購読中のブログが更新された。
独自の感覚で感じとった日常を独特の言葉で表現して綴っている。新たな視点を与えてくれるし、その独特な世界感を味わうことができるので、配信をいつも楽しみにしている。
私の例えが下手すぎて申し訳ないけど、彼女の文章は飛行機の機内誌に出てくる上質なエッセイのような感じがする。文章を読んだだけで違う世界に連れて行ってくれる。ほんと素晴らしいなぁと思う。
私には全く真似はできない。でも真似する必要はないと思う。人それぞれ感じ方が異なるし。だから世界は面白いし。人が面白いし。
ここでふと思ったのは。
彼女のように自分が感じたことを言葉にして(整理して)伝える技術(あえて技術と呼ぶ)って、国語の根源(←これさえ身につければ心豊かに生きられる)だと思うし、とても大切だと感じる。
感覚や言葉は人それぞれ違っていい。でも、自分の内面にある考えや感性を(ブログなどで公開しないまでも)言葉にして自分自身で確認できることは、自分を冷静に見つめなおすことに役立つはずで、その結果から自分の考えや主張を整理することができるはず。
自分の立ち位置や価値観がはっきり言葉で言い表されていれば心がモヤモヤすることが少なくなって他者との関係もそれなりにうまくやっていけるのではないかと想像する。自分の気持ちも言葉にできないのに他人のことはわかりようがないんじゃないかと。
そういえば国語教育って何を目指しているんだろうとぐぐってみた。
この引用が今の国語教育の目標として正しいのか調べていないのだけど。。。全体的には非常にごもっともなこと書かれていた。具体的な方法はこの次の段階なんだと思う。内容はさておき、これを読んで1つ驚いたことがあった。次の一文である。
国語教育の在り方を考える場合の根本的な問題として,日本人の多くが言葉の力を信じていないという指摘がある。
言葉を信じない。。。そうか?そうだったのか。。。?(皮肉ではなく)本当に驚きだった。それは確かに由々しき事態。このことについてはこれ以上、掘り下げるネタを持っていないので終了。
空気を読む文化で育ってきた我々は言葉にしなくてもわかりあえると何となく思っていた。というか考えもしないで生きてきたように思う。だからこそ?日常では言わないようなことを言葉にしてくれるドラマや映画に惹かれたりするのかと。毎日のように見かける食レポも感覚を言葉にする好例だと思う。自分の感覚を研ぎ澄まし、その感じたことを言葉で表現する。それを聞いた視聴者に、食べてもいないのに味わったかのような感覚を味あわせてくれる。上手い人は本当にうまい。
まとまっていないけど、彼女のエントリーを読んでふと感じたことを書いてみた。
言葉、大事。