memorandums

日々の生活で問題解決したこと、知ってよかったことなどを自分が思い出すために記録しています。

面接(圧迫面接あり)と明記しませんか?

今日はガイダンス。新年度をスタートするにあたり学科としての伝達事項を伝える一日です。1年からはじまり最後が4年。話題は自然と「就活」に。昨年、担当していた学生から「初めて行った企業で面接までいったんです。でも圧迫面接だったよで。。。トラウマになっちゃって。。。」と。


今までも似たような話しを学生から聞いたことがありました。そのときは「社会の洗礼だね。。。」くらいにしか思っていませんでした。でも、よくよく考えてみると、そもそも圧迫面接なんて必要なんでしょうか?大学にきて「お前は平和ボケだ」と言われるかもしれません。でも。。。


人にもよりますが、最近の学生さんは全体的に線が細い。なぜか?とても大切に育てられているからです。私自身も自分の子育てで思い当たるところはありますし、そういう人間を育ててしまっているようにも思います。そういう学生さんの多くは、これだけ厳しい就職状況だとわかっていつつも、なかなか本気を出して就職活動しようとしない。。。面が見られます。不思議ですがわからなくはありません。今まで何とかなってきました(周りが手を回してやってくれていた)から、積極的に危険なところに飛び込む必要はないのです。


その彼ら彼女らがやっと動き出してくれたところに。。。圧迫面接→めげて→(最悪)引きこもり→就職活動が億劫に→未内定のまま卒業。。。圧迫面接した企業さんは必要性があってそういう試験を行ったのだと思います。それはしかたがないです。でも、そういう経験をして採用されなかったとすれば。。。就職活動が鈍って最悪就職ができなかった場合、やはりその学生だけの責任なのでしょうか?運が悪かったのでしょうか?


もちろん、職種や企業文化によっては必要性はあるかもしれません。その場合は、求人欄に、「試験方式:面接(圧迫面接あり)」と明記するというのはどうでしょうか?圧迫面接が嫌な学生はその会社を受けません。それを見ただけで逃げ出すような学生はその企業は必要としないでしょうし。または、面接するときに面接官が「これから圧迫面接に入ります」と宣言してもいいでしょう。圧迫面接はする側も気分の良い物ではないと思うんです。両者で了解して圧迫面接モードに入れば、その中での(テクニックとしての)対応を見ることができるでしょう。


「予告したら圧迫面接の意味なんかない」という意見はあるかもしれません。「本性」を見たい気持ちもわからないではありませんが。そうだとしても別の方法を考えませんか?セクハラ、パワハラが社会でも問題になっていますが、ある意味、了解のない圧迫面接パワハラに該当するのではないかとも思うんです。


「甘いことを。。。」という声が聞こえてきそうですが。鍛えるのは採用してからでお願いしたいところです。仕事の中で鍛える。就職できない学生を何とかしようと国も動き始めています。単に甘やかせるのは問題ですがやはりモラルというか国が指針を出すべきでしょう。


Link: 圧迫面接(wikipedia)