memorandums

日々の生活で問題解決したこと、知ってよかったことなどを自分が思い出すために記録しています。

能動的に仕事を進める力は社会に出ないと身に付かないのか?


今日、大学前のバス停で見覚えのある顔が。少し話しをすると2年前の卒業生だとわかりました。お世話になった教授に会いに来た帰りだとか。


彼の話で印象的だったのは「今にして思えば、もっと 卒研ちゃんとやっとけば良かったと思います。期限までの仕事を洗い出してスケジュールたてて確実にやっていかないといけないんですよね〜。学生の頃はよくわかっていなかった。。。」と。


社会に出ると意識が変わることは誰しもが経験することだと思います。じゃ、学生のうちは適当でいいか。。。?悩ましいところです。


会社では仕事が進まないと会社はもちろん顧客にも迷惑がかかります。新規性あるいは開発要素が強い案件ではマニュアル通りに仕事は進まないでしょうし、人間同士ならではの問題も発生します。そのリスクに対処するため前詰めで仕事をする、あるいは1つ1つ足場を固めながら仕事を進めるなど、自分や会社が痛い思いをしないようにする仕事の進め方が自然と身に付きます。


では、学生はどうか?


学生は在学中は ”責任は個人持ち”。出席する/しない、課題をやる/やらないは自分次第。ほとんどの場合が最後に帳尻があうので、よほど気合いの入った科目以外は能動的に進めなくても ”なんとかなる” わけです。


これは学校という仕組み上、いかんともしがたいのかもしれません。”なんとからならいようにする” ことは可能だと思います。課題の提出期限を短くする。講義のレベルを上げる。定期試験の範囲を広くする。それでも、”責任は個人持ち” である以上は、落第者を増やすだけで、自分がきちんとやらないと周りに迷惑をかける。。。という心理は働きません。


かろうじて、本学科には3年次に情報学プロジェクトI/IIという通年科目があり、ここで少人数のチームを作り、”責任は全員もち” を体験する機会があります。ただ、この仕組みも、やる気や実力のある学生に依存しやる気のない学生がサボるという負のスパイラルが働く傾向があります。これは社会でも80対20の法則のようによく見られる現象だと思います。やる気のない学生に罰則を。。。そういうことに時間と体力を割くこと自体無駄です。


そもそもは、学生であっても、自主的、能動的に仕事が進められれば楽しいと感じるでしょうし、楽しいと感じれば、やっていること自体の本当の意味を知ることができるでしょうし、その取り組んだ時間はかけがえの無い自分の財産になるはずです。言うは易し。。。そういう方向に向かわせるは難し。。。


そもそもは、自分で立てた目標や計画を自分で実行することに無理があるのかもしれません。会社では、顧客がいて、その顧客の望む目標や期日にそうように努力し対価を得ます。どちらも同じ「目標」であり同じ「期日」ですが、それをやる人間の心理としては大きな差があるように思います。もちろん、学生にも能動的な人はいるでしょうし、社会人にも後ろ向きな人がいることはあるでしょう。。。人それぞれの価値観。自分を成長させたいと思うか思わないかの違いなのかな。。。