memorandums

日々の生活で問題解決したこと、知ってよかったことなどを自分が思い出すために記録しています。

わかった。今度から褒める。


今日は卒業研究の中間発表の最終練習日でした。午前中でとっとと終えて、午後から受託研究にとりかかるつもりでした。が。終わったのは4時くらい。昼飯も食べれませんでした。どうしてももっともっと真剣になれないんだろう!?と途中で何度か切れそうになりましたが、何とか終えました。


そのとき、ある担当学生が「自分はがんばったし、○○の部分はいろいろと考えて書き直したし、徹夜したし。。。少しくらいは褒めてくれるかと。。。」と言っていました。


なるほど、です。


私は彼らではなく、彼らの資料とプレゼンをなるべくいい評価になるように修正すべき点を指摘していました。私なりに、それは正しいことと思っていました。ゆくゆくは彼ら自身でそうしたプレゼンができるようにならなければならないわけですし、いずれ後輩や部下ができたときに指導するときもくるわけです。よいプレゼンとは?よいプレゼン資料とは?について、考えすぎるくらい考えても、それが彼らの将来のためになると信じていました。これについて私は間違っているとは思いません。


なぜか?


そもそも、”本来は” ゼミを半年かけてやった結果をまとめて発表するわけですから、本来であれば何週にも渡って議論しながら、彼らが調査したり考えたことについてアドバイスするなりヒントを与えるなりして研究内容が少しずつ熟成されていくものです。それをたった1〜2週間程度でやってしまおうというわけですから、彼ら自身はもちろん私にも、そして議論や指導にも無理が生じておかしくないでしょうからです。もちろん、ゼミがあまりできなかったのは彼らのせいだけではありません。就職先がなかなか決まらず落ちついて勉強することができない状況では、悠長に宿題をやる気分になれなくてもしかたがなかったと思います。


前置きが長くなりました。上記の何が「なるほど」と思ったか。


状況はどうあれ、ものには順番があるし時間も必要ということです。急ぎすぎました。反省です。


また、会社で上司に認められたいけどなかなかそれは叶わなかったという経験もあります。そのときは最大限努力しているつもりでしたから、目の前の学生の努力とは違う、と思うところがありました。でも、私の努力も当時の上司から見れば学生と同じだったのかもしれません。それ以上に、努力とは各人で相対的なものであり、その量も絶対的な評価などないでしょう。そう考えると私もまだまだまだ若い(というか青い)です。ホント。


コーチング理論を引き合いに出すまでもありませんが、後期からは積極的に「褒め」てみようと思います。これは実験です。学生君も将来自分が上司になったときにどう褒めればいいか?を考えるために、どう褒められたら嬉しいか、感じてみて下さい。立ち場が変われば見方や価値観は変わってしまいます。変わる前に感じておくことが大切でしょう。