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日々のメモです。

偏差値崩壊


読書中です。偏差値のふりがなを「くらべっこ」としているところが意味深です。

偏差値崩壊

偏差値崩壊


偏差値の分布といえば正規分布のように平均点が頂上でその周辺に裾野が広がる1コブの山でしたが、今は2コブ山になってきているそうです。これは初耳でした。なぜそうなるのか。その原因として学生の論理力、日本語力の差によるものと説明しています。わかっている子はわかっている。わかっていない子は果てしなくわかっていない。その格差が大きく広がっているということです。こうした格差の背景として、まず偏差値のあり方について疑問を投げかけています。要は偏差値はある集団の平均点と比べているだけ、つまり他者と比べているに過ぎず、本当の学力や学力の変化を示すものではない、ということです。


「本当の学力」(学習能力)とは何か。。。今まで真面目に考えたことはありませんでした。かなり広い範囲を意味する言葉だと思います。受験生であれば「解けない問題が解けるようになる」があてはまると思います。要は、他者と比較するものではなく、本来は自分の過去と比較するものだということです。逆上がりができなかった生徒ができるようになった。九九が言えるようになった。歴史の年表が暗記できた。などなど。そうした個人的な学習能力の成長は偏差値では見えにくいし、他者に勝てばどんな手段を使ってもいい、という気持ちさえ抱くようになると説明しています。


先日、娘の期末テストを見ていて、中学といえば評定は正規分布でつけていたよな。。。と思い出しました。(調べると2004年くらいから絶対評価に以降しているともあります。詳しくは知りませんのでここで私が書いていることは怪しいです)。中学生のときには気にしていませんでしたが、正規分布の裾野である5段階の5を取るのは大変なことでした。序列するには点数に差をつけなければなりません。もし評価を期末試験だけでするとなると問題の作り方も気を配らなければならないはずです。上記の偏差値の説明を見ながらそんなことを考えていました。


大学も7月には定期試験に入りますが、問題を作る側になってみるとレベル設定が難しいことが身をもって理解できます。大学では絶対評価(素点)だけですし分布に対する規制や指導もありませんから、科目がシラバスに提示した要件を満たしていれば全員「優」でも構わないわけです。


他者との比較ではなく、がんばったらがんばった分、評価に反映された方が「次もがんばろう!」という気になるでしょう。


とはいいつつも、現実的には有限の枠を奪い合うわけですから競争があるでしょうし序列化はさけられないことだと思います。社会に出ても給与などの査定も似たような構造だと感じます。みんながハッピーになればいいのでしょうけど、そう簡単にはいかないこともあります。


解決する方法はそう簡単に見つからないでしょうけど、大人が真面目に考えていかなければならない問題だと思います。将来の日本を背負う若者を元気にする(元気なまま大人にする)ために。一つ確かなことは一歩社会に出ると偏差値のような唯一の指標はないということです。理想論かもしれませんが、金子みすゞさんが残されたように、みんなちがってみんないい、はずで、そうじゃないと元気は出ませんから。


偏差値を多軸化(目的にあわせた評価)するのはありかと思います。東大のように全方位的な能力を求めるところがあってもいいでしょうし、ある特定の科目のある分野だけ取り出して評価してもいいでしょう。偏差値が多軸化すれば序列は唯一ではなくなり学部別専門別に序列になり、今よりは少しは実態を反映できる(本当にやりたい学生がその道に進む)のではないかと思います。そう簡単な話ではないでしょうけど。。。