memorandums

日々の生活で問題解決したこと、知ってよかったことなどを自分が思い出すために記録しています。

「第2回 研究の世界は閉鎖的。人に使われるものを作りたい」を読んで

理学博士の丹羽純平氏が研究者から開発者(サイボウズ)に転身したことについて書かれた記事です。転身した理由は以下のようです。

「正直にいうと、飽きてきたということです。研究者ですと、ひたすら論文を執筆し、どこかに投稿し、掲載され、また別の論文を執筆して……。これの繰り返しです。何かに掲載されても、論文を読む人は限られていて、クローズな世界なのです」と丹羽氏は説明します。研究の世界が狭く感じられるようになってきたのです。

レベルの違いはあるのかもしれませんが、私は丹羽氏と逆の人生を歩んでいることになります。ちょっと思い返してみました。もしかすると、今、同じようなことを考えている人の参考になるかもしれませんので書いておきたいと思います。


私は修士のときに(大した研究はしていませんでしたが)「実社会で動くもの/役立つものが作りたい」という気持ちになりました。博士課程に進むことは全く考えていませんでしたので、地元企業に入社し、顧客や上司や仲間やパートナー企業の方々と10年間、仕事を楽しむことができました。それでも長年関わっていると色々なことが見えてくるものです。


関わっていた業界は長年プロプライエタリな環境で開発が進められてきた経緯もあり、開発方法は今もなお独自な体系をもとにしています。オブジェクト指向やWebも多少は扱いましたが主流ではありませんでした。興味を持って勉強してもそれを生かす分野がなかった(そういう視点が持てなかった)ということもありました。まぁ、正直に振り返ると、そういうことを理由に怠けていたのだと思います。会社の経営状況が一時期悪化したときに(現在は絶好調らしいです)「会社が潰れたら食べていけるだろうか?」と思いました。そこで大学の恩師に相談し後期課程に社会人入学することにしました。


仕事をしながらの研究生活は過酷でした。ちょうどその頃10年に1度の大型プロジェクトにリーダーとして選ばれプロジェクトを切り盛りしていました。プロジェクトリーダーという仕事の性質上、予定は組んでもその通りに進むことはわずかです。それでも週中でたまに早く帰れる日は大学に直行し、土日は大学の研究室で過ごしました。当時、長女が産まれ父親としての仕事もありました(当時、家族や親戚には大変迷惑をかけました)。結局、修了まで5年間を要しました。。。卒業後、大学や高専などに書類を送り縁あって今の大学に採用してもらいました。


で、現職について5年目を迎えています。結果的に転職はどうだったのか?ですね。


理数離れから工学部の不人気が続いています。その影響もあり様々な営業活動があります。高校訪問*1、出張講義、オープンキャンパス、夏休みの公開授業。また、全入時代の影響もあり恐らく大学を既に卒業された皆さんには想像できないような手厚い学生支援の仕事もあります。学生アンケートで授業評価され要望に対応します。講義もそうです。JABEEの関係で授業資料はしっかり整理しPDCAすることが求められます。社会のニーズを取り込み就職先で少しでも役に立つように業界の情報を集め授業に取り入れます。学内設備(コンピュータ設備等)の管理もあります。学内の各種委員会などの業務もあります。卒研生や大学院生の指導もあります。その合間に研究です。この文章から仕事の割合が読み取れるのではないでしょうか。営業活動やPDCAに関しては企業では当たり前のことでしたので抵抗はありませんが、企業より圧倒的にリソースが少ないため一人に対する負荷が恐ろしく高くなります。


前置きが長くなりましたが、これが現状です。もう少し研究にかける時間が欲しいところです。


「研究がクローズな世界」というのはよくわかります。意識していないわけではないと思いますが研究には具体的な出口(顧客)がありません。また、コミュニティに参加したとしても結局のところその対象を研究するのは一人ですからプロジェクトで開発する企業とは全く違います。


それでも幸せなことに元企業と受託研究を通して現場の仕事に関わっています。また昨日の日記に書いたように地元企業と関わることで「顧客」という視点に触れることができます。


こうした活動の成果をいわゆるアカデミックなレベルまで昇華するのは非常に難しいことです。現場の仕事には特殊性はありますが、いわゆるアカデミックな流れにおける新規性は薄いです。両方の世界に身を置くことで「ベクトルが違うからこそうまく機能する」ということが最近わかるようになりましたが、論文を量産しなければならない立場としては、限られた時間しかないのにも関わらず非効率的なことをやっていると思わざるをえません。


まとまりが無くなりましたが。。。現場から一歩身を引いて見ることで本質が見えてきます。研究の流れを追いつつ現場への適用可否を検証しつつ、両者をうまく接続できるような研究をしたい、と思っています。言うは易しなんですけどね。。。


丹羽さんも今後も開発者を続けていくかは未定とのことです。勝手な想像ですが、本質を研究した人だからこそ現場を知って本質に回帰したくなるんじゃないかと思います。現実的には難しいのですが、できれば研究者も開発者も両者を自由に行き来できるようになれば「大学の研究は社会のニーズを捉えていない」とか「企業は大学の研究には無関心、あるいは単に利用するだけ」といったことは少なくなるんじゃないかと思います。

*1:九州はもちろん中四国の高校を宿泊しながら、レンタカーやタクシーなどを利用して、資料をもって説明してまわる活動です。年に2〜4回程度あります。