大学(学部)では単位を124個集めると卒業できる。
単位をとることができる基準は、科目ごとに定められたさまざまな評価基準(定期試験やレポートなど)を総計して100点満点中、60点以上をとれば合格となる。
60点の根拠はさておき、このことを会社での生活に置き換えて考えてみようと思う。
例えば、先輩やお客様から教えてもらった情報があるとする。
技術的なこと、チームのルール、要求仕様、約束や契約事項、などなどである。
で、これの60%しか覚えていないということはあるだろうか。。。?
バイトでもそういうことはまずないだろう。。。
もっと言うと他社に勝つためには100点ではダメで120点をとりにかなければならない場合だってあると思う。
何がいいたいか?
学部で学ぶ広く浅い知識は、教える側も教わる側も(最低)60%を身につければ十分と了解しているのが「学校」というシステムなのだと思う。
何をいまさら。。。と自分でも感じるのだけど。
でも、60%の理解でよしとしてしまうと、個人の中での知識や技術の習得が積み上がらず、どうしても講義の最後の方には理解不足者が吹き溜まってしまう。
毎回の中での60%、クラス全体の60%、講義全体を通しての60%、そして忘却曲線。。。
おかしな計算かもしれないけど15回の講義で毎回が0.6の理解とすると0.6^15(=恐ろしく低い数値)になる。もちろん、前回の知識を100%使うわけではないのでこの計算はおかしいのだけど、やはり掛け算で効いてくるのではないかというのが体感的な感覚である。
同じ大学でも、大学院に進学すると自分のテーマをもち、勉強したことについては100%理解しようと努める。結構、会社での仕事の覚え方に近い感じになる(と体験的に感じている)。
大学がいい、企業がいい、そういうことではなく、大学における出来高の要求基準の最低条件が60%である。。。ということがいろいろな意味で学校で教えることや教わることに影響しているんだな。。。と感じた次第。
企業人から転職し教壇に立って10年に近づいている。赴任当初に比べるとかなり易しくしていると実感する。昔は無茶してた。それくらいできないと会社では困ると思っていたから。。。
多くの学生が80〜100%理解できる内容・レベルに修正してもさらにその60%で「ヨシ」とする。
そりゃそうだ。上記の仕組みというか価値観があるから。その価値観は長年の学生生活で身に付いている。100点取るなんてあり得ない!そういうことだ。
序列を作るためにはどうしても60点あたりを下限にしたい気持ちはわかるけど、(レベルを下げることなく)ほとんどの子を90点以上にできたらな。。。と思ったりしている。
前期も12回と終盤にきた。なかなか理解が定着しない担当授業を思い返しながら、そんなことをつらつらと電車で考えていた。